日ごろより当クリニックでは、正面玄関入ってすぐの待合室に患者さんやご家族の心に寄り添うような憩いと安らぎの空間をつくることを目的とし絵画を展示しております。
是非ご覧になっていただきたいと思います。

ギャラリー

葛西 俊逸(かさい しゅんいつ、1957~)

青森県生まれ。93年、第22回現代洋画精鋭選抜展で銀賞を受賞されて以降、美術雑誌「一枚の繪」誌上や一枚の繪主催の展覧会で活躍されている人気画家です。細密に描きあげる山野、水辺の風景は、自然への讃歌を奏でているかのようです。

角館花紀行
角館花紀行
薫風鹿島槍
薫風鹿島槍
桜追想
桜追想
春の追憶
春の追憶
富士桜花
富士桜花

須藤 和之(すとう かずゆき、1981~)

群馬県生まれ。多摩美術大で日本画を専攻し、その後東京藝術大 大学院で文化財保存学を研究。自然の美しさと調和をした日本画作品を描く、繊細な筆致と豊かな色彩が、光と風の動きを巧みに表現し、観る者を魅了します。彼の作品は、自然の一瞬を捉えたかのようなリアリティと、心に響く静謐さを兼ね備えています。
一枚の繪No.585 特集 風薫るで「郷ほめる風」が表紙を飾る。

郷ほめる風
郷ほめる風
春の山うたう
春の山うたう

上村 松園(うえむら  しょうえん、1875 – 1949)

京都生まれ。美人画の第一人者として知られます。伝統を学びながら独自の人物 表現を切り拓き、生涯にわたり理想の女性像を追い求めて描きました。それらの気品ある清澄な女性像の数々は、 今日も観る者に深い感銘を与えます。60年間におよぶ画業を貫き、近代美術史に揺るがない足跡を残した松園は、 日本における女性芸術家のパイオニアとしての位置づけも重要です。1948年(昭和23年)、女性として初の文化勲章受章。

古代白拍子
古代白拍子

宇田 荻邨(うだ  てきそん、1896~1980) 

三重県松阪市生まれ。大正ー昭和時代の日本画家。京都で活動を始めて、1979(昭和54)年に83歳でこの世を去るまで、季節とともに様々な変化を見せる洛中洛外の風景を描き続けた。当初は菊池芳文に師事して四条派を学びながらも、国画創作協会に代表される1910年代から20年代頃の京都日本画界における新しい傾向と軌を一にする活動を行っていたこと。1920年代半ば以降、1930年代から40年代にかけて、荻邨はそうした新傾向を離れて、いわゆる古典的なスタイルヘと転換したことなどがあげられています。1967年(昭和42年) 勲三等瑞宝章受章。           

錦秋
錦秋

王 軍(おう ぐん、ワン・ジュン、1950~)

上海に生まれる。91年現代洋画精鋭選抜展入賞。93年浅井忠記念展優秀賞(千葉県立美術館作品収蔵)。描くのは、透明水彩の世界。ヨーロッパや日本各地の優雅な風景や花などを、沢山の色と絶妙な水の加減で精密に彩っています。美術雑誌「一枚の繪」で多くの作品が誌上されています。                      

郷里清流
郷里清流

鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878-1972 )

東京都神田生まれ。近代日本を代表する美人画家。浮世絵師、日本画家。新聞・雑誌に挿絵を執筆。情緒豊かな美人画、風俗画で知られる。第二次世界大戦の空襲で東京の自宅が消失し、1946年から鎌倉材木座に居を構え作品の制作を行った。1954年には鎌倉雪の下に移り住み終生を過ごした。1998年に旧鏑木清方亭にて鎌倉市鏑木清方記念美術館開館しました。               
1954年(昭和29年)、文化功労者表彰、同年には文化勲章受章。

名月
名月

鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895- 1989年)

東京府多摩郡八王子町(現・八王子市)に生まれる白馬会洋画研究所に学び、織物図案の修行をへて絵画に専念。二科会を中心に作品を発表した。のちに野間仁根、高岡徳太郎らと一陽会を結成。明るく透明感のある色彩と、牧歌的な独自の画風から、コロリスト(色彩家)、童心の画家と評され人気を博し、さらには書物の装幀や表紙画、挿絵、商業デザインへも活躍の場を広げました。1960年(昭和35年)、日本芸術院賞受賞。1969年(昭和44年)、勲三等瑞宝章受章。

人形
人形

伊豆高原
伊豆高原

武石 英孝(1958~)

小樽生まれ。北海道小樽桜陽高校在学中に、学生美術全道展で文部大臣賞を受賞したことから、美術の道に進む決意をしました。武石英孝の描く世界は、自身の思い出や記憶を辿り、探し求めた先に生み出されたものであるように感じられます。生まれ育った小樽の自宅から想起され、そこにかつての自分を投影させています。

鎮守の社
鎮守の社

中路 融人 (なかじ ゆうじん、 1933~)

京都生まれ。山口華楊に師事する。1962年 第5回新日展特選・白寿賞(以後特選1回)日展評議員、日展文部大臣賞、日本芸術院賞、日本芸術院会員。2006年第38回日展審査主任を務める。風景画家として、自然と触れ合い向き合い続けた中路融人。6 0 年以上にわたる画業の根幹をなしていたのが、写生活動です。生涯描き続けた滋賀はもちろん、旅先にもスケッチブックを持っていき、自らが見た風景を仔細に描き残しています。2012年(平成24年)、文化功労者。       

朝もや
朝もや

百瀬太虚(ももせ たいこ、1960年~)

長野県に生まれる。1984年國學院大學文学部卒業。1994年美翔展文部大臣奨励賞受賞。1995年フランス ル・サロン入選。2003年日選展新人賞。2005年示現会展入選。2012年示現会会員。全国津々浦々の桜を描いて来られたことでも有名です。咲き誇る桜の木々を華麗な色彩と丹念な筆遣いで描き上げるその画風には、鮮やかな美しさのなかに深い精神性を感じさせます。美術雑誌「一枚の繪」で多くの作品が誌上される人気作家です。             

花の宴
花の宴

森田  茂(もりた しげる、1907年 – 2009年)

茨城県生まれ。原色を多用し、色を塗ったというより絵具を擦り付けたという様な、力強い筆致の重厚な画風が特徴である。1966年(昭和41年)に偶然目にした山形県羽黒山地方の郷土芸能である黒川能に強く惹かれ、この黒川能を描き続ける。また、彼は舞妓を描いたシリーズも発表し、日本の伝統文化に対する愛情を作品を通じて表現しました。1977年(昭和52年) 勲三等瑞宝章、1993年(平成5年) 文化勲章受章。

黒川能
黒川能

安井 曾太郎(やすい そうたろう、1888年 – 1955年)

京都府京都市生まれ。19歳で渡欧、アカデミージュリアンにて学ぶ。ヨーロッパ周遊中にセザンヌから最も強い影響を受け、独自に研究を重ねた。帰国後、二科展での滞欧作の展示が大きな反響を呼び、安井曽太郎の名が広く知れ渡った。その画風は、写実を根底にした大胆なデフォルメと、たっぷりとした線と鮮やかな色使いで描かれる。生み出された独自の様式は「安井様式」と呼ばれ、梅原隆三郎と日本洋画の双璧をなす存在となりました。
1952年(昭和27年)には文化勲章受章。

花

山元 桜月(やまもと おうげつ、1889年 – 1985年)

滋賀県大津市生まれ。。文展・帝展で活躍、帝展推薦・文展無鑑査となるが、のち展覧会出品から離れ、独自の活動を行う。山水を能くし、富士山を描き続けました。彼の作品はルーブル美術館、宮内省ほか多くの作品が所蔵されています。

富士
富士

神嶺富士
神嶺富士

金子 東日和(かねこ とひかず、1946~)

東京に生まれる。日本画から作家生活を始め、やがて油絵に転向、第6回、7回、8回現代洋画精鋭選抜展銅賞を受賞後、多くの個展を開い来られました。激減を続ける茅葺き屋根の民家と、北海道の民家をテーマに、どこか懐かしい日本の原風景を描き続けています。美術雑誌「一枚の繪」で多くの作品が誌上されています。                       

咲く
咲く

山口 華楊(やまぐち かよう、1899-1984)

京都生まれ。大正・昭和に活躍した京都画壇を代表する日本画家・山口華楊の回顧展。華楊は、伝統的な円山・四条派の画風に西洋画や革新的な日本画の知識を取り入れて、新しい時代にふさわしい花鳥画・動物画を生み出しました。1973年(昭和48年)勲三等瑞宝章受章。
1981年(昭和56年)文化勲章受章。         

遊蝶花
遊蝶花

上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年-2001年)

京都で生まれる。近代美人画の確立者である上村松園の一人息子。6歳の時、文鳥を飼い、その美しさに感動し松篁は鳥の美に目覚める。13歳で京都の美術学校に入り、特待生に選ばれる。19歳で帝展に初入選。明るい色彩で清雅な花鳥画を描いた。1973年(昭和48年)勲三等瑞宝章受章。1984年(昭和59年)文化勲章受章。

鶏

花塚和伸(はなづか かずのぶ、医師)

生まれ育った地で医師として役に立ちたいと平成21年10月に 花塚クリニックを栃木県さくら市喜連川に開院。専門は消化器内科、消化器内科疾患はもちろんのこと、これまでの豊富な経験の下に一般内科診療も行って地域に貢献しています。(花房院長 ご友人)

かむい
かむい

不明

鈴木敏子様より寄贈された絵画です。当クリニックで一番大きなサイズになります。作者の想いを感じ取っていただけると幸いです。