下田市にある下田循環器・腎臓クリニックの花房院長のブログ

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伯父の思い出(1)

RIMG0543RIMG0022RIMG0023小生には人生でとても強い影響を受けた伯父がいました。「叔父」は父や母の弟、「伯父」は父や母の兄、との相違があるそうです。「いました」と過去形になっているのは、既に鬼籍に入っているからで、12年余が経過しています。父の兄で名を花房卓省(たくみ)といいました。今でこそ「たくみ」という名前は拓海など普通になりましたが、当時は非常に珍しい名前で、しかも、まず読めません。父も熈志(ひろし)と読みますが、これも読める人は皆無でした。卓省伯父さんはまず博覧強記で、その領域ときたら物理学や数学、生物学など自然科学はもとより、哲学、歴史、経済、文学、政治など非常に多岐におよびました。津山市役所に勤めており、バリバリの共産党員。カール・マルクスの「共産党宣言」や「資本論」を読みなさいとよく言われたものです(もっとも、大学生になるまで読まなかったし、内容もいまだによくわかっていないけどね)。伯父は話術も卓越していたため、誰もが強く引き込まれてしまうのです。大学の仲間が父の実家に来た時も、みんな卓省伯父さんの話に魅了されてしまいました。それ以降、友人たちは何回も東京から伯父さんに会いに来てくれています。なんせ田舎の農家で育っていますから、体力もあり、生きる知恵を備えていました。小生は学童期の頃、都市部によくいる貧弱で、もやしっ子だったため、田舎に行くといつも具合が悪くなり寝込んでいました。伯父はそんな小生に見かねてか、夏にはよく近所の香々美川に連れて行ってくれました。最も衝撃を受けたのは、漁具を用いずに、素手で川魚を獲ることです。最近でこそ、よゐこの濱口がヤス(漁具の一種)で「獲ったどー」なんてやっているけど、当時はこの地区の小学生は川でヤスやモリ、チョンガケ(大きなギャフ針がついた漁具で、この辺の方言か?)などの漁具を使って魚を獲る姿は、普通に見られた光景でした。最近は全くいないねー。小学生や中学生は危険だから川では遊ばないんだって。香々美川っていう素晴らしい清流があるのに、とはいっても昔に比べるとやや汚れたようです。15年くらい前に鏡野町なんて超マイナーな町の写真集「リトルヘブン」が上梓されて、びっくりしたことがありました。もちろん小生は買いましたよ。今でも大事に持っています。写真には香々美川で遊ぶ子供たちのスナップが掲載されています。近年は市町村合併奨励のあおりで、奥津町、鏡野町、上斎原村、富村が合併して鏡野町(4町村が合併しても市じゃないんだー??)になったのですが、鏡野町には全国的に知られる唯一の存在が山田養蜂場だったためなのか、愛着ある町名が何とか残ったようです。そういえば35歳頃、伯父さんと二人で養蜂場に見学に行き、「蜂の巣箱が沢山置いてある養蜂風景を見せてください」と尋ねたら、「ここにはそんなものはありません」と一笑に付されてしまいました。山田養蜂場はロイヤルゼリーやはちみつを原料とした健康食品と化粧品の工場だけなんだって。ガックシと肩を落として帰ったことがあります。話を戻しましょう。伯父は岩やテトラの下にそっと手を入れて、ウグイやオイカワ、アユやアマゴ(この辺ではヒラメという)を握って獲るのです。もちろんそんなこと、当時の小生にはマネできるわけもありません。話はさらに脱線しますが、岡山鳥取県境に黒尾峠という場所があって、山奥なのにヒラメ釣りの看板がたくさん出ていました。卓省伯父さんに「ヒラメがこんな山奥で釣れるの??」って聞いたら、なんと、岡山ではアマゴをヒラメというんです。どうしても鮃を思い浮かべますよね。中学2年の時、極楽橋の下のテトラで、伯父さんは40cmの鯰を握って獲っていました。魚籠に移す時、小生が取り逃がしてしまい、とっても悔しい思いをしたことがあります。幸い1時間後くらいに弱って休んでいた先の鯰をヤスで突いて獲ったのですが。同じ中2の時、香々美川の最上流に越畑というところがあって、ヒラメを獲りに行ったこともありました。釣りじゃないよ。突きに行くんです。そして握りに行くんです(寿司じゃねーぜ)。とにかくムチャクチャ冷たい。水温も12℃程度かな。川に入る前に夏なのに暖房入れるんだから。5分も入っていられませんでしたが、卓省伯父さんとその次男の達ちゃんは尺ヒラメを何匹も獲っていました。この時の情景は今も忘れません。それ以降、37年、小生は握りと突きでの川や海の魚などの狩猟に切磋琢磨してきました。今はうるさいから海でも川でもヤスでの狩猟はダメなんですよねー。「濱口には負けないよー」と勝手に勝ち誇っていますが、これは卓省伯父さんから受け継いだものだと思っています。卓省伯父さんと達ちゃんの話はこれからも紹介させてね!なんせ人生で最も影響受けた数少ない人たちなので。

写真は大学3年生の頃、従兄の達ちゃんとその奥さんの穂月さん、そして卓省伯父さん。鏡野町越畑の滝付近で撮影しました。

この時はヒラメ10尾程度。尺ヒラメもいるね。小生が突いたんです。

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