下田市にある下田循環器・腎臓クリニックの花房院長のブログ

下田循環器・腎臓クリニック
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伊豆からの春便り

RIMG0209 RIMG0523 RIMG0524ここ数年、「クールジャパン」と外国人による日本のかっこいいを取り上げたテレビ番組が増えています。昨年の外国人日本観光客は過去最高で、今では東京や京都の外国人旅行者が急増したため、宿泊予約がなかなか取れないことも、しばしばあるようです。先月京都の学会に参加する際、宿泊予約が取れず、宿泊サイトで検索すると京都のビジネスホテルで1泊45000円なんていう暴利を貪る輩も出現しています。12m2のビジネスホテルでですよ!!まー、こんなホテルは間違いなく潰れるでしょうね。足元見過ぎています。2008年よりNHK BSで放送中の鴻上尚志氏とリサ・スティッグマイヤー氏がMCの「cool japan 発掘カコイイ日本」という番組もあり、「COOL JAPAN」というキーワードが世界中で飛び交っています。古来からの日本文化、「葉隠」や新渡戸稲造の説く武士道、空手や柔道などの武道、先端科学技術はもとよりファッション、アニメ、ゲーム、和食など、日本の様々な文化や日本人の勤勉さ、礼儀正しさが外国の人たちにはカッコイイとして受け入れられ、流行し、あるいは尊敬されています。1970-80年代エコノミックアニマルと揶揄された時代は遠い過去のこと。また、ここ数年近隣諸国の中国と韓国によるジャパンバッシングへの対抗とも取れますが、日本人としてのアイデンティティーをしっかり持ち、祖国を愛する気持ちを大事にすれば、世界中からもっと愛されることでしょう。中公新書の「外国人による日本論の名著」の中でジョージ・ソンサム、キャサリン・ソンサム夫妻やルース・ベネディクト、最近ではドナルド・キーンなどなど、日本を日本人より熟知している外国人による日本人や日本文化評論を紐解くと、日本と日本人の特性が、客観的に見えてきます。まー、前振りはこのへんまでにしましょう。日本の文化深い繋がりがあるものとして四季が挙げられます。二十四節気や七十二侯など、日本人は季節のうつろいを肌で感じながら生活しています。昨日は端午の節句です、菖蒲湯に浸かり、柏餅を食しこれもまた日本古来の文化でしょう。下田の春は山で感じることができます。周辺の山は海抜500m以上の山はなく、低い山々が連なっています。3月には馬酔木が咲き、春を感じさせます。馬酔木は文字通り馬が酔ってしまう、毒がある植物です。八丁池に向かう天城山中では馬酔木の大群落があり圧倒されます。可憐でも毒がある魅力的な花です。3月末になると数十種類もある、さまざまな山桜がモザイク状に、山の斜面を彩る風景はなかなかの絶景です。4月になると小生が大好きな山吹の花も咲き乱れています。また、4月半ばには照葉樹であるタブノキの黄緑色やスタジイの花の萌黄色、針葉樹林の深緑色、落葉広葉樹の若葉色が混ざり、照葉樹林独特の色彩を呈します。これに低木のヤマブキの山吹色やフジの花の藤色などの色がコントラストをなし、百花繚乱の春を演出します。日本の四季と和の色は切っても切れない関係にあるわけです。日本ほど微妙な色の使い分けをしている国もないでしょう。ちなみに葡萄色(えびいろ)や檜皮色(ひわだいろ)、海松色(みるいろ)なんてわかります?和の色って1000種類以上あるそうです。ここにも四季と文化が深く関係しているのですね。また、ビロードツリアブやクマバチがホバリングする姿を見ると春真っ只中だなーと感じてしまいます。近年は、春から急激に夏に移行してしまい四季のうつろいを感じにくくなりつつあります。地球温暖化が影響していているのかもしれません。とはいっても、やはり日本人に生まれてそれぞれの季節を感じることができる。最高の幸せと感じます。幸せの閾値低いなー。日本人でよかったーー。                                                             最後に花に所縁のある小生が大好きな和歌を数首挙げておきます。

 
磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が在りと言はなくに (万2-166) 大伯皇女
【意味】岩のほとりに生えている美しいこの馬酔木の花を、手折ろうとしてみるけれど、その花を見せたい弟はもうこの世にはいない。
万葉歌人の悲劇のヒーローとヒロイン、天武天皇と持統天皇の実姉 大田皇女との間に生まれた姉弟:大伯皇女と大津皇子。持統天皇は自分の子である草壁皇子を天武亡き後、天皇に即位させるため、人望が厚く、次期最有力候補である甥の大津皇子を謀反の罪で処刑してしまいます (大田皇女が生きていれば歴史は変わったことでしょう。大津皇子は日本武尊や源義経とならぶ、まさに悲劇のヒーローです)。最愛の弟を失った姉:大伯皇女は悲しみにくれて上記を含め6首の歌を万葉集に残しています。
山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく (万2-158) 高市皇子
【意味】山吹が飾りを添えるようにほとりに咲いている山の泉――その水を汲みに行きたいと思うけれども、道を知らないことよ。
天武天皇の第1皇子、高市皇子 (たけちにみこ) は最愛の女性 十市皇女 (とおちのひめみこ)を失い、その悲しみを黄泉の世界と現実の世界の狭間を彷徨して歌ったとされています。
七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき (後拾遺1154) 兼明親王
【意味】山吹の花は七重八重に咲くのに、実が一つも結ばないのは不思議です。 裏の意:山吹ではありませんが、お貸しすべき蓑ひとつ無くて心苦しいことです。
太田道灌は扇谷(おうぎがやつ)上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけ、俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・兼明親王が詠まれた上記の歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の無知を恥じ、以降、歌道に精進するようになったといいます。
さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな (千載66) よみひとしらず
【通釈】さざ波が寄せる琵琶湖畔の志賀の旧都の跡はすっかり荒れ果ててしまったけれども、長等(ながら)山の桜は、昔のままに美しく咲いていることよ。
平家物語「忠度最期」の件でも有名な平忠度の歌です。源氏との戦を前に死を覚悟し、自作の歌を藤原俊成に託し戦地に赴きます。俊成は仇敵となってしまう忠度を慮 (おもんぱか)り、よみひとしらずとして千載和歌集に載せたとされています。ちなみに忠度の官名「薩摩守」:(さつまのかみ)はキセル乗車のことを(ただ乗り)を意味する隠語として使われる場合があります。なるほどなるほど!
和歌から歴史を繙くと本当に面白いですね!!

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