下田市にある下田循環器・腎臓クリニックの花房院長のブログ

下田循環器・腎臓クリニック
院長ブログ

3年ぶりに関西へ 三都物語 その2 お次は京都どす!

2日目は、まずは新大阪駅前にある新大阪バスキュラーアクセス日野クリニックに赴き、そこで使用しているデバイスやエコー、Cアームなどの画像機器など細部にわたって見させてもらい、また、VAIVTの手技も見学しました。バスキュラーアクセス=シャントに特化したクリニックなので、動線が良く、エコーやDSAの画像も鮮明で、造影画像のモニター配置も見やすく、斬新でした。しかも助手を務めるスタッフたちの手際がとても良く、大変参考になりました。休憩の合間に日野君と談笑していると、バスキュラーアクセス界の大御所である天野泉先生からお電話がありました。2年ぶりに会話させていただき、久闊を除することと相成りました。コロナ第8波が落ち着いたら、天野先生にもお会いしたいと思います。また、日野クリニックに是非スタッフと見学に来たいと思います。

さて、新大阪を後にし、古巣、国立循環器病センター (現国立循環器病研究センター:以下NCVC) の新病院のある、吹田市岸辺へと向かいました。かつての吹田市藤白台にあった旧NCVCをはるかに凌ぐ大病院へと変貌していました。端から端までの距離がなんと275mもあります。2往復したら1km! 国立がん研究センターや国立国際医療研究センター同様、厚生労働省が所管する独立行政法人のうち国立高度専門医療研究部会6病院の1つであり、国の威信をかけた病院です。6病院中唯一関西に立地し、しかも、6病院の中で最も新しい病院です。OBとはいえ、今は部外者。心臓血管外科部長の五月:さつき (福嶌先生)がいれば案内してもらえると思い、時間外受付の方に聞いてみましたが、当直医師以外はいないと一蹴されてしまいました。結局外観しか見ることができず、未練を残したままNCVCを後にしました。

昼食は摂らずに名神高速経由で京都南インターからまずは錦市場へ。京都の道は結構詳しいので、ナビいらずでほとんどの場所に行けちゃいます。「丸竹夷二押御池姉三六角蛸錦四綾仏高松万五条・・・・・・」これとても便利なんです。「丸太町通を先頭に、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池、姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路、四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条通り・・・・・」と東西の道を北から順番に覚えることができる歌なんです。これに「寺御幸麩屋富柳堺高間東車屋町・・・・・」と南北の道を覚えるとほとんどの所は行けちゃいます。京都の人には常識だけど、小生は関東人なので。

話が長くなりましたが、最初のお目当ては有次(ありつぐ)。老舗の包丁専門店です。昔から愛用していたんです。切れ味は抜群で、ナイフ、日本刀と刃物好きな小生にとって、神聖な場所なのです。有次の包丁はネット販売はされておらず、ここでしか買えないんです。今回は10年ぶりと、久々の訪問です。奮発して切れ味が最高の蛸引包丁と柳刃包丁を購入しました。料理を作ることがとても好きなのですが、包丁が粗悪で切れ味が悪いと創作意欲がなくなってしまいます。一方、切れのいい包丁で野菜を切ったり、魚をおろすと本当に気持ちが良く、創作意欲が掻き立てられます。刺身なんて切断面がスパッと切れて、細胞があまり痛まないので、ビシャビシャに水っぽくならないんです。だから、すごく美味しいんです。逆に断面が不整な刺身ほど美味しくないものはないですよね。

有次から東大路を抜けて百万遍へ。京都大学病院や博物館など京大の広大な敷地を通り過ぎて、京大生が利用するという進々堂京大北門前に向かいました。とてもレトロな喫茶店で、ここで珈琲を飲みながら読書。本は近くの古本屋さんで購入した「徳永恂著 フランクフルト学派再考」。能見君の到着時間まで時間を潰すこととしました。16時30分に京都駅で合流し、宿泊先の建仁寺前にあるホテルザセレスティン京都祇園へ。少しゆっくりしてから、祇園の街へ繰り出して、八咫という22年前に来たことのあるお店に予約なしで入ることができました。ここで懐石料理をいただき、京料理を味わいました。思えば、第1回AQUREXERS会は能見君の結婚祝いで京都に集合して、この八咫のすぐ近くにある白梅という料理旅館で宿泊したことを思い出しながら、昔話に花が咲きました。

能見君とは大学に入学して以来、NCVCでも約7年一緒に勤務していた知己朋友です。彼は小生が退職後もさらに5年、都合12年在籍していました。たしか1985年6月だったでしょうか。授業で小生の前に座っていて、バイクの雑誌を見ていたので、バイク好きの小生が声をかけたのが最初です。この年の8月、能見君の実家が熊谷ということもあり、母の実家である長瀞町の洞昌院で待ち合わせて、群馬へツーリングに行きました。能見君はカワサキAR50、小生はホンダNS400Rロスマンズでした。間瀬峠から児玉町を経て、神流川沿いを上流に向かって、上野村に行ったのです。ちょうど日本航空123便が墜落した (1985年8月12日)3日後でした。自衛隊や報道関係の車が多く、異様な雰囲気だったと記憶しています。それらを余所目に志賀坂峠、国道299号、秩父経由で長瀞まで約150㎞のツーリングでしたが、とても鮮明に覚えています。以後何十回と一緒にツーリングに行くことになるのですが。学園祭では一緒にバーテンダーもやったしね。

1991年卒業旅行はニュージーランドなんて話にもなっていましたが、ご存じ湾岸戦争が勃発したため、旅行は取りやめ。メンバーの一人が体調を崩したこともあり、旅行の代わりに資格を取ろうと、ダイビングライセンスを革切りに、ナナハン免許=限定解除(練習のみ教習所に通いましたが府中試験場で4回落ちてしまったため免許は取得できず)、筑波サーキットのコースライセンス、パラグラーダーのライセンスを取得しました。そして、能見君と二人で尾道での4級船舶免許取得の合宿に参加しました。映画転校生のロケ地である御袖天満宮で階段を転がる真似をして写真を撮っていたら、皆さんそうするんですよと神社の方がおっしゃっていて、大笑いしたことが懐かしい。尾道ラーメン食べたり、広島風お好み焼きを食べたりと、楽しい、あっという間の4日間でした。その時のこと。小生が船舶の免許試験の教材を必死に覚えようと、反復学習をしていると、彼は何食わぬ顔をして、まったく勉強していなかったんです。1回さっと読んだだけ。そしたら、「もう覚えちゃったから」だって。そう、彼は本当に記憶力がすごいんです。とにかく賢い。「なんで昭和大なんかにいるのかな?」て思うことしばしばでした。

そして医師5年目。なんとなく外科でうだつが上がらない日々を過ごしていた中で、NCVCで研修したいという気持ちが強くなっていきました。95年、昭和大学胸部外科の先輩である村上厚文先生 (現国際医療福祉大学医学部血管外科教授)のご助力もあって、何とかレジデント採用試験を受けることを高場利博教授に許可していただき、96年5月から行けそうな状況になりました。「行けそう」としたのは試験はあるからね。その時、能見君は都立墨東病院の救命救急科に非常勤職員で在籍していて、心臓の麻酔やりたいなんて言っていたことを思い出し、道ずれにと、「一緒に大阪行かない」と誘ってみました。そしたら二つ返事で俺も行くとうことになって、12月に二人で大阪にのりこんでいきました。そのことは以前ブログで書きましたが、何とか二人ともに滑り込み、1996年5月から大阪での生活がスタートしたのです。小生はともかく、能見君は切れ味抜群の頭脳と器用さを武器に頭角を現し、今では日本心臓血管麻酔学会の重鎮 (常任理事)となっています。新生児術後で中心静脈カテーテルを留置する際、心外やICUのスタッフが手技に難渋していると、八木原先生が「能見を呼べ」と指示されることがよくありました。また、AAAの術中に肺の空気塞栓を併発し、心肺停止になったとき、すぐさまSwan-Gantzカテーテルを挿入し、肺動脈の塞栓源となっているエアを即座に注射器で除去し、救命したなどの機転の速さ。心外スタッフの絶大なる信頼を得ていました。自分じゃないのに、妙に自分のことのようにうれしく思ったことが思い出されます。「どうだ。俺のだちなんだぜー」てね。子供みたいですね。それほど、心外スタッフから頼りにされていたのです。また、術中の経食道エコーによる弁逆流の評価などは彼の専門分野の一つで、術後のARやMRが消失しているか否かの厳しい判定を彼にされることもしばしばでした。

そういえば、能見君は岡山の鏡野に4回来てくれています。なんといっても卓省伯父さんの人柄に魅了された一人なのです。二人でNCVC在籍時、たしか1996年の秋に3人で鏡野町の山にマツタケを取りに行き、ホンシメジ含め、たくさんのマツタケを収穫し、鱈腹マツタケを食べたことが思い出されます。その4年後、伯父が虚血性心疾患のためNCVCで手術を受けたときは、能見君が麻酔を買って出てくれました。後で伯父から聞いたのですが、彼は毎日伯父の病室に来てくれていたのです。その話を聞いて伯父と小生は涙があふれてきました。伯父も感無量だったのでしょう。そしてその1年後、伯父は事故で帰らぬ人となってしまったのです。小生は神戸から一目散で津山中央病院まで向かいましたが、結局、間に合いませんでした。翌日のお通夜の日に能見君は夕方大阪からわざわざ鏡野まで来てくれたのです。本当にうれしかった。この時は本当に涙を禁じ得ませんでした。いまでも彼には感謝しています

能見君は大北先生からも信頼されており、大北先生は何度も神戸大学に引き抜こうとしたぐらいです。そして彼自身も大北先生の弟子だと思っているので、今回の大北先生の古希祝には、満を持しての参加となったのです。祝い前日、盟友と二人で京都で過ごし、大北先生たちと伊豆に来た思い出など、たくさんのことを思い返しながら、夜は更けてゆきました。そして長い1日が終わったのでした。明日は、いよいよ大北先生の古希祝。37年来の友人と一緒に参加できうれしく思います。ありがとう。

 

写真は5年生のときアキュレクサーズの仲間と学園祭でカクテルバー SINでバーテンダーを能見君としていた時の写真です。まだ若いねー! 新しい国立循環器病研究センターです。とにかくでかい。 進々堂でホットケーキとコーヒーを。

 

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