峠で思うこと

RIMG0159RIMG0019峠というと難所、関所、逃避なんてどちらかというと負のイメージをしてしまいます。「ああ野麦峠」や「サウンドオブミュージック」(この映画に負のイメージは全くなくハッピーエンドです。小生の最も好きな映画の一つです)のエンディング(ナチスに追われ故郷のオーストリアを一家で脱出する)などなどからでしょうか。ところがところが、80年代バイク野郎にとって峠といえば、聖地。コーナーを攻めるローリングをイメージしてしまいます。80年代はとにかくバイクが熱かった。鈴鹿8耐は真夏だというのに18万人以上の観客を動員する白熱ぶり。年々加速するレーサーレプリカの開発・販売競争。光輪モータースを中心とした上野バイク町の賑わいぶりなどが懐かしく思われます。しげの秀一の「バリバリ伝説」が大ヒットし、ローリングのバイク雑誌「バリバリマシン」が発売されたのも87年。夏の北海道なんてバイクバイクまたバイクで、ピースするにも疲れるぐらいライダーが多かったし。とにかく80年代はバイク絶頂期だったんです。今では残念ながらバイクは斜陽。小生の住む伊豆半島はツーリングのメッカですが、80年代バイク野郎が教習所で取得できるようになった大型免許(限定解除)を取って、オーバーナナハンに乗っているような人たちが圧倒的に多いですね。先日、伊東の亀石峠を通ったら、コーナーを攻めてるバイクなんて一台もいない。もちろん全国どこの峠に行ってもローリングをしている人なんてまず皆無。淋しい限りです。小生は85年、大学入学後にホンダから発売したNS400Rを購入しました。85年は、奇しくも、かの天才フレディー・スペンサーが250cc、500ccでダブルタイトルを獲得した記念すべき年で、当然小生もロスマンズカラーを購入。2スト命なのでずっと2ストに乗っています。NS400Rのトルク特性は非常にフラットでΓのようなピーキーさは全くなく、低回転でも安定した乗りやすいバイクでした。知らない間に100km/hに達しているという、悪く言えば面白みがないバイクでしたが、7年間乗っていたので愛着も強いのです。シグナルGP(信号が青になると加速して他のバイクとレースする)でも渋滞している車の隙間を、ミラーを瞬時にたたんで、すり抜ける芸当などはお手の物。まず環七で負けることはありませんでした。また、旧式のナナハンになら負けない加速でした。小生の大学は、自宅がある板橋からは環七を南下し、中原街道の交差点で左折するのですが、ほかのバイクと、競り合っていたため第一京浜まで行ってしまって授業に遅れたこともありました:ほんとアホやなー!また、調子に乗ってウイリーしたら、バイクだけすっ飛んでってしまったこともあったなー。なんせ無茶野郎でしたし。転倒や事故もありました。今では本当におとなしく乗っています。平地から峠に入るとコーナーの標識が出現しますが、標識を見たとたん、アクセルを開け、胸が高鳴る興奮を今も忘れることはありません。当時の走りのポイントは

・大垂水峠 (東京都神奈川県境):なかがみや、旭山ドライブインがメイン。強者ぞろいのためギャラリーすることが多かった。

・風張峠:奥多摩有料道路 (東京都):通称便所コーナーがギャラリーコーナー。距離が長いので結構攻略が難しかった。

・間瀬峠 (埼玉県長瀞町):母の実家、洞昌院から5分の立地。合宿のごとく、最もよく走ったホームグランドです。

・ランド坂 (川崎市):東京から近い立地でたまに走っていました。交通量が多くて走りにくかったなー。ヘアピンが見せ場、下りは怖いよ。

・緑山 (町田と横浜市):緑山スタジオの近く。道幅が狭く、交通量が多いため流す程度で楽しんだ道。

・鶴川街道 (川崎市):こっこも道幅が狭く、路面が滑ったため、軽く流す程度。最後のコーナーが見せ場かなー。

・朝比奈峠(鎌倉):おーちゃん(友達の大畑君の愛称)の家の近くなので、たまに走っていました。ここも交通量が多くて危なかった。

・熱海峠・熱海新道  (静岡県熱海市):ここもよく走りに行った。間瀬峠に似ていて走りやすかった。今は見る影もないなー。

・茅ゲ岳広域農道(山梨県北杜市):大好きな山梨県のローリングポイント。友達のはなぴん(花塚君)はタンデムでしかもハーレーで攻めていた強者。

マーガレットライン(南伊豆町):ここは景色が最高なうえ、コーナーのバリエーションが多く楽しめました。雲見温泉のS字コーナーは最高!!

なんて思い出してみましたが、こんなことはやってはいけないのですよ。本当は、若い頃のことなので大目に見てね。RIMG004220150209-bRIMG0091RIMG0061

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