四万十紀行3:パート1

RIMG1518 RIMG1519 RIMG1516 RIMG1517 RIMG1515 RIMG1520 RIMG1514RIMG0085 RIMG0105 RIMG0101昨日、大学時代の旧友丸ちゃん(石丸君)と3年ぶりに電話でお話ししました。20歳台の頃、陸上部の金田君とともに、最も語り合った友人で、駒沢のウイングスや用賀のプレストンウッドは語り場所としてしょっちゅう行っていたファミレスでした。そういえば、たしか医師4年目の頃、秋田外科病院という昭和の附属病院が世田谷にあり、ここで土曜日の15時から月曜日の朝6時までの当直業務があったときのこと。丸ちゃんが土曜日の夕方、突然病院の当直室にやって来て、結局月曜日の朝まで38時間ずっと一緒に当直室で話していたことを思い出して、昨日は大笑いしてしまいました。今はその病院も前述のお店もないのが淋しい限りです。話はバイクの話と変わりますが、学生時代、丸ちゃんのTZR250と小生のNS400コンビは最強??と今でも自負しています。バリバリ伝説の郡と秀吉まではいきませんが、ツーリングでも峠を走っても、街中を走っても息はピッタリでした。エディー・ローソンを彷彿させるステディーな走りは後ろから見ていても芸術的であったことを思い出します。学園祭の打ち上げ旅行で、軽井沢に向かう途中の関越自動車道でのこと。ちょうど新幹線が併走する場所があり、そこに新幹線が時速250kmで走ってきました。すかさず小生が新幹線とバトルを始めようとした途端、そこは丸ちゃんとは以心伝心。2台でフルスロットル。もっとも220km/hぐらいで、さすがに新幹線にはついていけないことが判かり断念。なんてこともつい昨日のことのように思い出されます。そんな丸ちゃんは今、松山で歯科医院を開業しています。往診を積極的に診療に取り入れており、地域医療の一翼を担っています。さて、四万十川紀行パート3はここ松山の丸ちゃん宅をベースにしましたが、学生時代とは違い、経済的にも若干ゆとりもあり、また、車も充実していたので快適な旅となったのですが・・・・・。

時は1995年8月11日のお盆期間。小生は2日前より岡山県鏡野町の叔父の家で待機していました。香々美川や吉井川で遊び、津山の街を散策するといった第二の故郷(父の生家)での旅を十分満喫していました。東京組は横坊夫妻(横山君)、能見ちゃん、大ちゃん(大畑君)、唐戸君の計5人。前日、夜9時頃出発。なお、山さん(山口君)とAQUREXERSのレディース:貴子(現石丸夫人)、洋子ちゃん(旧性:津金沢さん)は後日四国で合流することになっていました。東京組の5人はお盆の渋滞と阪神淡路大震災による影響で、午前中到着予定であったにもかかわらず、待てども一向に来る気配がありませんでした。当時はまだ携帯電話も持っていませんでしたので、直接固定電話にかかってくるのですが、まだ宝塚トンネル手前??とのこと。結局のところ一行が到着したのは17時頃でした。東名・名神高速の渋滞が断続的で100km以上??に加えて、下の道では、大阪府で淀川を渡るのに3時間以上と、長時間の運転と徹夜で疲労困憊となり、横坊はあまりの辛さにほんとに泣いちゃったんだそうです。叔父宅に到着して早速、軽トラの後ろにみんなを乗っけて、地元の漁具の店で投網とヤス、鰻の仕掛けなどを購入しました。帰路の途中、津山や鏡野町の夕暮れの頃、ひぐらしが鳴き、ため池と田圃、近くの低山と遠くに見える枡形山や泉山(鏡野町の山)などが織り成す里山風景に癒されていたのか、皆、「これぞ日本の田舎だなー」と感激していたようです。その後は、さあ、宴会の開始です。といっても運転する人もいるのでビールでの乾杯は口をつける程度とし、食事をしながら、卓省叔父さんの演説が始まりました。鏡野の昔、人形峠のウラン採掘、原子力、原爆、政治、哲学などなど、相も変わらず博覧強記ぶりが炸裂。皆、叔父の話に引き込まれてゆきました。岡山駅で仕事を終えて、東京から新幹線で来る丸ちゃんを迎えに行くため、午後9時前に鏡野を出発。岡山駅では無事丸ちゃんとも合流でき、瀬戸大橋をわたり四国に到達しました。丸ちゃん宅についたのは午前2時前でしょうか。この日はみんなでお酒を飲んで3時頃には就寝したと思います。翌日はゆっくりめに起床。松山市北条の海で投網の練習をしましたが、これがすごく難しく、網が全く拡がらないのです。小生は結局投網の技術を習得できませんでした。暇な時間は例によって丸ちゃんと唐戸くんと3人でオーシャンフロントのテラス、クラブハウスで1日に2回もお茶したのも懐かしい思い出です。夜は鯛めしを頂き、翌日の早朝。さー、いよいよ四万十川に出発です。まずは内子を経由。ここはノーベル文学賞を受賞された大江健三郎氏の故郷で、小京都として有名な街です。このあとはいよいよ待ちに待った鍾乳洞探検(羅漢穴)です。このあとの話はまた今度にしましょう。

写真は鏡野の父の実家。軽トラで漁具店へ。松山市北条のクラブハウスでのひとコマ。岡山駅で丸ちゃんを待っている時のスナップ。瀬戸大橋でのひとコマ。内子にて。など、この時の写真をアップしました。

ある夏の1日

RIMG1129 RIMG1142 RIMG1148 RIMG1162 RIMG1170この日のお天気は快晴。RIMG1469 RIMG1461 RIMG1462

午前6時:起床し、読書。山本義隆著の「原子・原子核・原子力」を読む。山本義隆先生は1960年代に東大ベトナム反戦会議の活動に携わり、東大全共闘議長を務めたカリスマ的な指導者で、今までの約50年間、学生運動については一貫して沈黙を保っていますが、「磁力と重力に発見」、「十六世紀文化革命」など物理学の分野の書籍を多産しており、まさに倚馬七紙であります。ノーベル賞も夢ではないと将来を嘱望されていた科学者でしたが、研究の道を辞し、駿台予備校の物理の教師を長く勤めておられます。小生の浪人時代も秋山仁先生とともに超人気講師でした。小生は化学・生物を選択していたため、物理の授業の際には席を外しますから、席に空きが出来ます(駿台では席は決まっていたので)。高校の友人に席を譲ったのですが、知らない人から、1年間1万円で席を譲ってくれと頼まれたこともありました。それぐらい人気があったようです。

午前10時:沼津のエスポットで生活必需品の買い物をしました。前項で、仁淀川で海パンが無く困ったことより、本日はそんな事が無いように海パンも購入しました。その後は国道1号、136号、熱函道路より函南の丹那を目指しました。昆虫観察のためです。

午後0時:ポイント着。富士見ダイアヤランドの入り口にお気に入りの昆虫観察場所が有り、ここのエノキにたくさんのタマムシが生息しています。この日はあまり多くなかったのですが、数匹飛翔していました。そんな時もいつもの思索を巡らせてしまいます。古の人々がいかなる方法で法隆寺の玉虫の厨子に用いるタマムシの羽を集め、その意味はなんなのか?とても不思議に思います。ただ、言えることは、けして再現することのできない、その美しい色彩に神秘と畏敬の念を感じたのでしょう。今回も1匹手に取ってじっくり観察しました。しばらくそこにいたのですが、とにかく暑い暑い。汗だくになりながら車の温度計を見ると38℃を示していました。

午後1時30分:途中のお弁当屋さんでお弁当を購入し、柿田川を目指しました。

午後2時:柿田川駐車場着。2組ほど先着グループがありましたが、小生は駐車場で海パンに着替え、ヤスと水中メガネ、お弁当を携え、柿田川の辺(ほとり)に向かいました。まずはお弁当を頂き、いざ川の中に。さすがに冷たい。外気温は35℃程度で、水温は13.4℃ですから、ずっとは入ってはいられませんでした。しかし、透明度はピカイチですね。魚はあまり見られませんでしたが、ミシマバイカモの鮮やかな緑と水の透明度が不思議に一体化し、きわめてクリスタルで無機的な水中に彩(いろどり)が錦上添花され、その光景に釘付けとなってしまいました。十分に涼と美を楽しんで、柿田川を後にしました。

午後3時:その後は沼津インター近くの坂口屋で温泉入浴。

午後3時45分:日蓮宗の光長寺を散策。毎年夏の夕暮れ時に散策していたお寺です。桜の時期がいいんでしょうね。蝉時雨がすごい。暑い中いくつかの塔頭を巡り、次に沼津市街のマルサン書店を目指しました。

午後4時半:この日は2日続けての花火大会とお祭りのため、駐車場がなかなか見つからず苦労しましたが、なんとか駐車し、屋台見物をしながら、マルサン書店で本を購入。「数学の大統一に挑む」、養老孟司著「虫の虫」、「紙幣肖像の近現代史」、「戦後日本の知識人は時代にどう向き合ったか-丸山、竹内、吉本を中心に」など15冊ほど購入しました。

午後5時15分:いつもの葉山珈琲でお茶をしながら医師会の心電図の読影200人分を熟(こな)し、先ほど購入した「数学の大統一に挑む」を途中まで読む。

午後7時:いざ花火を見物に。徒歩で三園橋上で見物場所を確保、午後7時20分花火が開始。消して派手ではないのですが、さまざまな色の花火を見るにつけ、鮮やかな赤は硝酸ストロンチウムを、緑は硝酸バリウムを、青は酸化銅など、それぞれの炎色剤は元素の炎色反応を利用してるんだよなーとか寺田寅彦の線香花火の研究は・・・なんて、無味乾燥な化学の知識のおさらい??をしながら眺めていたのですが、やはり終盤に近づき、一瞬の煌きと、その後の余韻に、人生の無常観と儚さを感じずにいられませんでした。午後8時に花火は終了。

午後8時10分、沼津昭和クリニック着。長く、暑い?いや、熱い日曜日の1日は終わりました。

が、、え!!!その日は本当は何やってる日?????想像におまかせします。

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