ソロキャンプ  コギト・エルゴ・スム:我思う。故に我あり。

しまむらとヤオコー

表題は大陸合理論の哲学者で数学者でもある、ルネ・デカルトの著書、「方法序説」の中で提唱した有名な命題です。世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない。という意味です。小生の趣味に言及した「人生の楽園 (書店編)」の中で、⑥アウトドアと記しましたが、小生、キャンプをするときには、必ず思索に耽ることにしています。かの西田幾多郎やその門下で小生が敬愛する西谷啓治や高山岩男など、多くの京都学派の哲学者たちが哲学の道で思索に耽ったように。そして小生の一番好きなことでもあり、ライフワークでもある読書をすることも付け加えておきましょう。

若干、堅苦しい前振りとなりましたが、近年、ソロキャンプを含め、アウトドアブームも最高潮といったとこでしょうか。最近では好日山荘やアルペンアウトドアーズ、静岡県ですと小生御用達のSWENなどアウトドアショップもずいぶん増えました。また、そこで売られているキャンプギアの種類の多さのみではなく、便利なことを通り越して、もはや、キャンプの域を超えているようなグッズも増えていて、キャンプスタイルも随分様変わりしたように思います。これは歓迎すべきことなのでしょうが、中学1年生からキャンプなどのアウトドアを楽しんでいた者からすると、やや困惑することもあるのです。近年、キャンプ人口に比例してキャンプ場も増えていますが、中には、かなり密集していたりすることもあって、大自然の中でポツンと一人思索に耽ることも出来なくなってしまったような気がしてなりません。夜に大自然の中でポツンと一人でコーヒー片手に星空を仰いで思索に耽るのことが最高なんですが。特に夏のキャンプ人口は驚くほど増えていて、場所取りなんかも大変ですしね。小生はいままでキャンプ場でキャンプをしたことは1度きりしかありません。北海道のオンネトーでの1回のみなのです。この時は21時前にツーリング仲間9人で食事をしながら談笑していたら「うるせー」なんて、隣の人に叱られてしまいました。かなり隣の設営場所とは離れてはいましたし、それなりに気を使っていたのですが。それ以降、キャンプ場を使用していないのです。しかしながら、キャンプ場でない場所でのキャンプは近年、非常にやりにくくなってしまいました。これも仕方のないことですね。以前、ブログで書かせていただいた、山梨県にある増冨ラジウム温泉近くでの空手+ハンマー投げの山籠もり修行(+キャンプ)のようなハチャメチャキャンプも今は昔の話です。

本格的なキャンプに初めて行ったのは中学3年生の3月。高校受験が終わり板橋区立桜川中学3年E組の卒業クラス会で小生ら数人で企画した自主映画「地上最強のカラテ:桜川中編」を撮影するため、クラスの仲間4人に兄貴分の達ちゃんが同行してくれて、秩父鉄道の浦山口駅から荒川水系の支流、橋立川の上流でキャンプをしました。着いてすぐにテントを張り、薪拾いをして、焚火で火を起こして、夕食の準備をします。この時の夕食は飯盒炊爨でのごはん、鮪のフレークと鯖の味噌煮、鰯の缶詰だけなのに、とにかくメチャクチャ美味しくてたまらなかった=つまり「まいうー」であったことが思い出されます。ランタンやコンロなんてなく、焚火とランプだけだった。今は焚火をする場所や、そのあとの処理も厳しいですよね。とにかくこのころは緩かった。3月とはいえ、寒さだけは半端なかったキャンプでした。翌日は朝食後に、むちゃくちゃ寒い氷点下5℃ほどの中で、滝に打たれながら正拳を連打するシーンなどの撮影を行いました。撮影中、友人が笑わせるもんだから、まじめなシーンなのに、正拳連打中に笑っちゃったシーンになってしまいました。まさに「地上最凶のカラテ」です。今みたいにすぐ消去したり編集したりなんてできない8ミリでの撮影でしたから、しかも1本のフィルムは数分で終わってしまうので、失敗したら新しいフィルムで再撮影になってしまいます。まあ、滝の荒行以外は何とかいいカットが撮れて、そこそこ満足して帰途につきました。

以後、橋立川の同じ場所でのキャンプは高校生になってから、夏休み、冬休み、そして春休みと、最低年3回、毎回3-4泊していましたし、浪人、大学さらには社会人になっても同じ場所で何度もキャンプしていました。2回ほどは荒川水系中津川支流の大滑沢でキャンプをしています。冬は8-9枚重ね着しても寒かったし、電源もないのに炬燵、え!! コタツ?? キャンプに? を持って行ってました。暖を取るのではなく、麻雀卓としての使用です。高校1年生の冬にはコールマンのシングルコンロやランタンを使用するようになり、キャンプも便利グッズのおかげで幾分快適に過ごせるようになりました。駅から2.5km上流まで、一人30kgぐらいの荷物を持って、当然歩いて登攀するのですが、荷物は背中に背負うバックパック以外に、年配のご婦人が買い物の際キャスター付きのかご=今でいうキャリーカート(アウトドア用なんてものは存在しなかったため)のかごを外して、大きな段ボールをガムテープでぐるぐる巻きにして装着し、その中に食材やテントなど荷物を入れて、引いていました。結構便利なんですが、キャスターが小さいと砂利道ではまっすぐ進まないため、結構初めの頃は大変でした。高2の頃には小さいキャスター付きのカートは大きいキャスターを装着し直してチューンアップを図り、改造することで、砂利道は何のその。楽に登攀できるようになっていました。キャンプに行く前は、必ず池袋東口のD-BOX内にあった登山用品店に行って、ホワイトガソリンや必要な物品を購入していたのですが、みんなであるグッズを見て、「これって何だろうねー?」と手を拱いていると、仲間の一人が「そんなことも知らないのかよー」と言わんばかりに「これは餅焼き器だよ」と言って、一同、吉本新喜劇のように思わず、ずっこけてしまいました。そして、そのあと大爆笑。「コールマンがキャンプでお餅を焼くための道具なんて作るわけないだろー」と他の仲間たちから、言われていましたが、実はこれ、1982年発売の冬用のヒーターなんです。なのに餅焼き器だって。確かにらしくは見えますが? 今はもっといろいろな種類のギアがありますね。キャンプ前の買い物は胸躍る気持となって高揚感を覚えます。行きは東武東上線→西武池袋線→西武秩父駅→お花畑駅→秩父鉄道→浦山口駅→橋立鍾乳洞→橋立川上流のいつものテント設営場所。帰りは秩父鉄道で寄居駅経由、東武東上線→上板橋駅→キッチンホワイトでB定食をいただいて、解散というのがほぼルーティーンでした。キャンプの時は、朝食を食べた後は、きまって下山して、お花畑駅で下車し、秩父駅周辺の散策を楽しんでいました。まずは松本製パン (小生は現在も愛用中で、母や叔母も学生時に利用していた90年以上も続いているお店で、今では秩父の超超人気店です) でコッペパン (ジャム、ピーナッツクリーム、カスタードクリーム、小倉など挟んでくれます) を大量に購入し、喫茶店の”ぢろばた” でコーヒーと持ち込みのコッペパンをいただくか (ぢろばたはコーヒー以外のメニューがないため、食べ物持ち込み可なんです)、みのり食堂 (現在ファミリーレストランみのり) で昼食を食べるかでした。ときに芝桜で有名な羊山公園なんかにも行っていました。特に ぢろばた は中学2年生の時、友人のお父さんに連れて行ってもらって以来、必ず、キャンプの際は利用していましたし、今でも秩父方面に行く際は必ず立ち寄ります。ぢろばた は古民家調の素敵なコーヒー専門の喫茶店で、マスターが寡黙だけど、本当に優しくて、とても素敵な方なんです。しかも、珈琲道!!カッコいいです。”ぢろばた” は、かつて自由になんでも書くことができるノートが置いてあって、みんなでさまざまなことを書き留めていました。17年ほど前にお邪魔した際、まだこれらのノートがあり、高校生の時に書き留めた文や絵がそのまま残っていました。これらを見つけたときは驚きと嬉しさ、そして懐かしさを感じた瞬間でした。夕方にはお花畑駅近くの “主婦の店”   (現在ベルク) というスーパーマーケットで食材などの買い出しをして、テント設営地までのらりくらりと徒歩で帰っていました。冬は浦山口駅から買い出しの材料をたくさん持ちながら、真っ暗な道をひたすら歩いて設営場所まで戻ります。

話はそれますが、われわれが良く利用した “主婦の店” というスーパーマーケットは1983年に “主婦の店ベルク” に、1992年にベルクに名前が変更となって、以後、現在関東一円に131店舗を有する、東京証券取引所市場一部銘柄に指定されるほどの大きな企業に成長しています。したがって埼玉県秩父発祥の巨大スーパーマーケットへと進化を遂げたのです。小生たちがキャンプの時に利用していた秩父のローカルスーパマーケットが今では年商3000億円を超えるまで成長したのは驚きです。じつはベルク以外でも、埼玉県比企郡小川町という人口27000人余の小さな町は、しまむらとヤオコーという二つの巨大企業発祥の地となっており、埼玉県ローカルには何か不思議な、大きな企業が生まれる素地があるのかもしれません。詳細は2011年に小学館から上梓された「しまむらとヤオコー」に詳しいと思いますので、読んでみてもいいのではないでしょうか。

業務用のママーのパスタ2kgを茹でたのはいいのですが、麺の量があまりにも膨大になってしまい、ミートソースの量がそれに見合うだけの量ではなく1人1パックのソースであったため、1人前6-7人分の麺に対して1パックのソースになってしまい、まったく味のない、不味いスパゲッティーになってしまたことがあったり、缶詰を食べようとしたら缶切りを忘れてしまい、缶詰を食べることができなかったり、夜間食材を外に出して置いたら、キツネとタヌキに食べられてしまい、ご飯抜きになってしまったり、いろいろなことが起こるキャンプでした。

そして、キャンプ道、この道43年。ぢろばたの珈琲道のまねです!  コロナ禍でなかなかできなかったキャンプ。流行に乗るのではなく、独自のキャンプ道を久しぶりに体現できました。一昨年、昨年と、いずれも11月のやや寒い時期に、近所の河津川上流で、ソロキャンプを楽しみました。夜はステーキに伊勢海老、ナポリタンなど作って、夜中にはワインとフロマージュをいただき、そのあとにコーヒー片手に思索に耽る。本当に至福の時間です。「生命とは?」「自我とは?」「社会は生物学的な進化をするのか?」などなど、さまざまな思索を巡らせます。また、昨年亡くなられた社会学者の泰斗 見田宗介や哲学者である大森荘蔵、柄谷行人、また評論家で医師の加藤周一などの著作を読み、さらなる思索を巡らせます。朝は、目覚めに川の水を沸かしてモーニング珈琲をいれて、フレンチトーストを作って食する。本当に最高です。これだからキャンプはやめられません。ただ、昨年は未明から雨に遭遇したため、テントから何からずぶ濡れになってしまい、撤収が大変で、家の中はずぶ濡れのテントやタープ含めたキャンプギアを乾かすのが大変でした。

自ら、今では便利グッズを使用しており、快適な時間を過ごすキャンプへと変貌してしまいましたが、ここは、原点回帰をして、40年前のようなキャンプをしに、埼玉県の橋立川へあらためて行きたいものです。今年は、秩父のシンボル武甲山登山も視野に、橋立キャンプを満喫できればいいなーと思っています。

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