下田市にある下田循環器・腎臓クリニックの花房院長のブログ

下田循環器・腎臓クリニック
院長ブログ
2015年7月16日

仁淀川プチ紀行

NCVC在籍約7年のうち、先日レジデント1年目について、数篇紹介しましたが、今日は6年目のスタッフになった直後頃のお話をしましょう。2001年5月中旬頃だったと思います。胸部大動脈瘤術後合併症で長期入院となってしまった患者さんが高知市の方だったので、高知市の病院に搬送することになりました。状態は芳しくはなかったため、医師が飛行機に同乗することとなったのですが、その役として小生に白羽の矢がたちました。もちろん即快諾。なぜかって?そりゃー、高知市には水質日本一にもなったことがある仁淀川があるからです。無類の川好きの小生にとって仁淀川は絶対に外せません。昨年末に亡くなられた作家の宮尾登美子作で「仁淀川」という小説がありますが、彼女は高知市出身で仁淀川町に住んでいたこともあり、仁淀川とはとても深いつながりを感じてしまいます。搬送の話に戻します。伊丹発高知龍馬空港に15時頃到着だったでしょうか。担当医に申し送りを行い、患者さんは救急車で無事病院へ搬送されました。高知龍馬空港発伊丹空港行は19時過ぎ。少し時間がありました。レンタカーを借り、早速仁淀川へ。高知市内を貫通し、伊野町で仁淀川と対面。5年ぶりの再会でした。仁淀川を北上し、名越沈下橋あたりまで登ってゆきました。17時過ぎとやや暗くなってきていたのですが、川面はまだ見ることができました。本流のあまりの透明度に度肝を抜かれました。2m以上ある川底までくっきりと見え、魚影の濃さにも驚きました。水中を是非見たいと思い、バッグに忍ばせていた水中メガネを取り出しました。こうなることを予想して、水中メガネだけ持参していたのです。残念ながら海水パンツもタオルも持参せず来てしまったので、パンツ1枚に水中メガネを装着し川に入りました。5月だったので水は非常に冷たかったのですが、素晴らしい透明度と魚影の濃さに感激してしまい、水の冷たさはあまり感じませんでした。10分ほどのウグイやカワムツ、ムギツクなどの川魚とのランデブーでしたが、すぐに仁淀川を後にして、空港へと戻りました。替えのパンツがなかったので、ノーパンでズボンを直に履いてたため、股間がスースーしてしょうがなかった。空港で金属探知機が反応したらまずいと思い、検査時は身につけている金属は全部外したよ。替えのパンツは必ず持っていこうぜ。・・・・・なんじゃそれ!!               仁淀川の美しさを心に刻み、再来を誓って帰阪してゆきました。小生の日本の清流ベスト10のうちの1つであることを付け加えておきましょう。ベストテンはいずれ紹介しますね。

2015年7月1日

翔べ!!オオムラサキ

この冬、山梨県でエノキの落ち葉で越冬しているオオムラサキの幼虫を5頭程採集してきました。エノキが出芽する4月に、枝に網をかけて幼虫を網の中に放します。すると下旬頃には葉を食するようになり、体色も緑色に変化します。残念ながら3頭は越冬幼虫のまま乾燥状態で死んでしまいましたが、残り2頭は5月の末には終齡幼虫となり、6月初めには蛹化しました。なお、幼虫からのオオムラサキの飼育には注意点がいくつかあります。特に以下の2点が重要です。1つ目はアリ等の天敵に襲われないようにしっかり隙間を作らずに網をかけることが肝要です。2つ目は蛹はぶら下がっていないと死んでしまいます。3年前には台風で蛹の大半が落ちてしまい死んでしまった苦い経験があったので、今回は細心の注意を払いました。蛹化してからは、先の注意点より、天敵がいない屋内で観察することとしました。6月28日透析学会から帰ってくると、オスが1頭羽化して、部屋の中を滑空していました。クワガタ用の昆虫ゼリーを与えると、口吻を伸ばして美味しそうにゼリーを摂取していました。29日の夜には残りの1頭が羽化。こちらはメスでした。本来オオムラサキの羽化は7月初旬から中旬で、メスはさらに遅いのですが、予想よりかなり早い羽化でした、羽化の瞬間には立ち会えませんでしたが、可愛がっていた幼虫が羽化するのは至上の喜びです。放蝶は本来いけないことなのですが、生態が崩れるような、伊豆での定着はないと考え、2頭放蝶しました。淋しい気持ちもありますが、折角生を貰い受けたのだから、大空を舞わないとね。翔べオオムラサキ!!RIMG0687 RIMG0691 RIMG0815 RIMG0823 RIMG0830 RIMG0840 RIMG0879 RIMG0881 RIMG0884