開院4年目を迎えて

久しぶりの更新です。のぞみ記念 下田循環器・腎臓クリニックも開院4年目に入った4月、この3年で新患患者さんは2000人を超えるに至りました。入院患者さんも透析患者さんを含め、11-14床とほぼ満床状態が続いております。この冬は特に肺炎が多かったようで、90%生存でき、入院病床が十分に機能しているものと考えます。また、大病院のICUでも死亡率の高いARDS (急性呼吸窮迫症候群:かつては成人呼吸窮迫症候群といいました) の患者さんを救命できたことは小クリニックでも困難な症例に対応することができるという自信となりました。これらはスタッフ全員による努力の賜物であると思います。地域の、特に地元の方々に、そしてスタッフやその家族たちに信頼されるクリニックにしたいと考えています。暖かく見守っていただけましたら幸いです。                        さて、今月は日本医学会総会を皮切りに、日本外科学会総会が名古屋で、日本循環器学会総会が大阪でと忙しい週末が続きます。そのあとGWへと突入します。GWは外科当番医を2回行い、少しづつではありますが地域医療に貢献できる体制を整えつつありますが、いかんせん、看護師をはじめとするスタッフの慢性不足は、休日診療の足かせとなっています。専門スタッフ地域格差 (大都市への偏在、給与格差など) の是正が急務でしょう。そんな状況ではありますが、小生はタイトなスケジュールを縫って学会参加をしております。参加理由は新しい知見を吸収したいという知的欲求に加えて、それぞれの学会の専門医あるいは日本医師会認定産業医更新のクレジット獲得のためでもあります。現行の専門医制度は、各部門の専門医乱立を極めており、一部では学会の金集めと受け止められることもあります。また、外科系の場合、スキルが伴わない医師へ専門医が付与されることも多く、学会参加のみで、更新もできる専門医もあり、形骸化が問題になっていました。今後、新しい専門医制度は、より高度で専門的スキルを必要とする、ハードルの高い新たな専門医制度に舵を切ることとなっています。当クリニックの理念として深い専門性と幅広い診療科という、この二律背反を融合させることは地域医療の理想と考えます。医師の診療科の偏在 (外科や産婦人科医などハードな診療科は敬遠しがちで、なり手が少ない) や、地域間格差、地方の超高齢化人口の割合の増加に伴う寝たきり患者さんの増加や、消滅都市など過疎化問題など、地域医療にはさまざまな問題を孕んでいることは論を待たないことです。われわれスタッフ一同、こうした数多の地域医療における困難を乗り越えてゆく覚悟でおります。今後とも宜しくお願い申し上げます。

地獄の1丁目:NCVCレジデント生活の幕開け(1):小児心臓血管外科編

1996年5月箕面市に住居を決め、なんとか引越しも無事に終えて、ゴールデンウイーク明けより、いよいよNCVC(国立循環器病センター:通称国循)のレジデント生活が始まりました。関西は阪神淡路大震災から1年強、いまだその爪痕を残していて、阪神高速神戸線はまだ復旧しておらず、地震で倒壊した建物が廃墟となっているところも散在していました。さて、NCVCのレジデントとは循環器内科や外科、脳神経内科など各部門を専攻とする研修医のことで、当時全国から約30-40人が1-3年の研修に参加します。心臓血管外科の同期は8名。さまざまな大学より研修に来ていました。心臓血管外科は成人部門、血管部門、小児部門および集中治療部門と4部門に分かれており、1-2年目のレジデントはそれぞれを3ヶ月ずつ4部門をラウンドします。3年目は4部門のうち1-2部門(例えば小生は血管部門と小児部門)を選択できます。小生は最初、小児部門に配属されました。同期は信州大学から出向していた広瀬君でした。初日の朝のカンファレンスにまずは度肝を抜かれました。全て英語でのプレゼンです。若干たどたどしい英語でプレゼンするレジデント諸先輩と、留学経験のある比較的流暢な英語で質疑応答するスタッフ。着任2年ぐらいはスタッフが難しい質問をすると全く聞き取ることができませんでした。もちろん返答も。術者が前の日の手術報告を行い、そのあとにレジデントが当日の手術患者のデータ、画像、術式を英語で説明します。これに概ね40分程度。それが終わるとICUのカンファレンスです。小児患者の状態が芳しくないときは30-40分も続くことがあります。当直者はしどろもどろになることも多かった。そして手術に入ります。手術はTCPCによるFontan手術や新生児の緊急手術であるJatene手術、Norwood手術など、あらゆる難易度の高い手術を行っていましたが、Fallot四徴+肺動脈閉鎖症に合併したMAPCAに対するunifocalizationやAV discordance (修正大血管転位症)に対するdouble switch operationは圧巻でした。この二つの手術は、ともにわが国循のヤギさん(八木原俊克部長)のオリジナルですから。また、先天性大動脈狭窄症など小児の大動脈弁疾患に対して自己肺動脈弁をautograftとして用いるRoss手術も日本で最も早くから導入しており、とにもかくにも目からウロコが落ちまくりでした。手術が終了するとICUでの術後管理を行います。挿管されていますので、抜管するまではずっとベッドサイドで監視していなくてはなりません。尿量や血圧、CVP、SpO2などを注視しながら、アンビューバッグでのバッギングや、痰の吸引、輸液量の微調整、モニター監視などを全て行います。朝まで15時間以上モニターをずーっと監視していることもざらでした。このとき特にビビったのがBlalock-Taussigシャント術後、一生懸命にアンビューバッグで加圧したら、急に血圧が下がって、冷っとしたことが何度もありました。加圧して酸素化を強めると、肺血管抵抗が減少して、肺血流ひいては心室還流量が増大し、心不全症状が起こるので注意が必要なんです。そんなの知らないよなー普通!!  当時は手術成績も良好でしたので、この頃のNCVCは複雑心奇形を有する子供たちが北は北海道から南は沖縄まで全国から集まってきていました。なお、小児斑は八木原俊克先生を筆頭に上村秀樹先生、山下克司先生、山本文雄先生そして専門修練医の石坂透先生がおりました。上村先生はイギリスのAnderson先生のもとで小児心臓形態学を修めた生え抜きで、膨大な知識を有しておりました。日本で詳細な小児心臓形態学について論じることができるのはわが上村先生と当時女子医大の黒澤博身先生ぐらいではないかと思います。皆さん右側相同:right isomerism heartっていう心臓をご存知ですか?小児心臓疾患に従事しなければまずお目にかかることはないでしょう。右も左も右の心臓??なんじゃそりゃ?心臓は右に右心房・右心室、左に左心房・左心室と左右の形態が異なっています。これが右側相同の場合、左右ともに右心房の形態をしています。したがって、心室はほとんどが右室型の単心室なのです。これに共通房室弁(僧帽弁と三尖弁が一緒になった、いわゆる完全型房室欠損症のような房室弁のことです)、肺動脈狭窄症や閉鎖症など、複雑心奇形の場合、ひとつの心臓の形態を理解するのに、とにかく苦労します。なお、小児グループで最もハードなデューティーワークは八木原先生の回診です。当然メモを見ないで40人程度の子供の、既往歴、手術歴、詳細な術式とデータなどありとあらゆることを理解・認識し、プレゼンしないといけないのです。一夜漬けの知識ではツッコミが入ればすぐにバレてしまいます。とにかくこれがきつかった。答えられないとヤギさんの罵声とまではいきませんが、かなり怒られることは必至です。小児回診が終了すると小児科との合同カンファレンスです。長いと3時間以上かかることもあります。とまー、こんな感じで1週間が終わるわけですが、帰宅ができるのが1週間でせいぜい2-3日程度、にもかかわらず、時間外勤務、月300-400時間の手当は0円。月給手取り20万円弱ナリ。そんなわけで東京からPetshop boysの Go westをテーマ曲に引き下げ、徒手空拳で大阪に乗り込んでいった小生でしたが、開始早々萎えてしまいました。来年は東京に帰るぞー。大阪の生活にピリオドを打つ決心を固めつつあったのです。つづく!

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