まずは高校受験のお話から。中学受験に失敗し、渋谷の宮益坂にあった桐杏学園という塾に入塾しました。入塾テストでは成就:せいしゅう、遊説:ゆうせつ。こんな具合でしたが、よく受かったなーと思います。桐杏学園は当時、中学受験も高校受験もすごい実績を有していましたが、今は見る影もないようです。まさに盛者必衰。入ったのは良かったのですが、既に中学1年の一学期で、塾の内容についていけず、よくサボって、汽車乗りに上野駅に行っていました。大体大宮か取手まで行って帰ってきてた。そんな訳で2年では補修コースに転落しました。ここは基礎固めにお誂え向きで、なんとか挽回して、3年生では最上位クラスに返り咲き。中学受験のリベンジをすべく第一志望は開成高校と決めていました。塾の成績も安定しており、これはいけるかなと思いましたが、結局は玉砕!! 合格掲示板に小生の受験番号390番はありませんでした。掲示板の前でしばし呆然と立ち尽くしたまま、何分ほど経ったでしょうか。帰りの足取りが鉛のように重かったことは言うまでもありません。西日暮里の駅までほんの数百メートルですが、駅までズラッと並んだ予備校や塾の勧誘の人たちが、パンフレットを山のように配布してゆきます。明らかに落ちたオーラを身にまとっていたためか、連中はしめしめと思ったのでしょう。大学受験で挽回だーと言わんばかりの勧誘。足早にこの場所を過ぎ去りたい一心で小走りしながら西日暮里を後にしました。結局、たまたま目にした東大何トカ会?という小人数制の塾に入塾したものの、朧げな記憶をたどると、確か渋谷のマンションの1室だったっような? 講師の東大生?は独りよがり授業。たしか小生の頃は数Iの初めのほうで虚数や複素数を勉強するはずですが、のっけから複素数の極形式がでてきて、ガウス平面からド・モアブルの定理を用いて三角関数の加法定理を証明?? (さっぱりわからん!! 今ならわかるけど高校1年の最初ではねー)。 結局は全く理解できずに1ヶ月でおさらばしました。話は戻りますが、合格発表の日の夕方ごろ塾の大石先生から電話があり、「N君は補欠きたけど、お前のところはまだ来ないのか?」と連絡がありました。その日は帰宅後に電話の前でずっと待っていましたが、結局、繰り上げ合格の連絡はありませんでした。さらに悲劇の連鎖は止まりません。慶応の二次試験の面接では、福澤諭吉の出身地を選べという3択問題が出ましたが、正解は大分県(中津)なのに、小生は山口県にマルをくれてしまいました。面接官に「君~、わが慶應義塾を受験するものが福澤先生の出身地を知らないとはねー。」と呆れられてしまいました。結局は不合格。不合格発表日は雨で、夕方から缶コーヒー持って、家の近くの駐車場に止まっている幌付きトラックの荷台の中で夜中まで一人で過ごしてしまいました。最後の最後は滑り止めで、家の目の前にある高校。これは絶対ねーなと思っていた高校に滑り込んでしまいました。思えば、なぜかすべて男子校しか受験しませんでした。中学当時は男子校がかっこいいと本気で思っていましたからね。勉学と空手に女はいらねーなんて硬派ぶってはいましたが、結局、1ヶ月もしないうちに共学で男女楽しくやっている友達をみて、めちゃくちゃ後悔してしまいました。小生の入学した私立城北高校はすべてにおいて中堅校。なんとなく勉学もスポーツもツッパリも半端な学校という感じでした。入試のテストはかなり上位だったので選抜クラスに入ったのですが、これが最悪!! これが本当に選抜クラスなのか???といった、むちゃくちゃなクラスでした。授業中先生の話はそっちのけで、寝てるか弁当食ってるか漫画読んでるか。休み時間に外に抜け出して本屋でエロ本かっぱらっている輩までいました。雰囲気からも授業なんて聞く気にもならない有様です。そういえば中経出版から出ている「男子校ルール」。60ルール中55は「そうそう!!」て思わず頷いてしまう程、自験例でもほとんどすべて的中しています。例を挙げましょう。①1日のうち話す女性が家族だけなんてザラ。②友達の紹介で女子と会う。③そしていつの間にか自然消滅する。④時に警察が動くレベルの不良がいる。⑤共学に行っていれば彼女が出来たのにとしょっちゅう後悔する。⑥対戦校に女子マネがいると試合前から闘志の炎が燃えさかる。⑦都合の悪いことは何でも男子校のせいにする。⑧女子高出身やおぼこい女子を見ると安心する。⑨小さな希望を胸に文化祭はとにかく張り切る。⑩女子から目を見て話しかけられた瞬間、即フォーリンラブ。⑪やたらとみんなでラーメン屋に行きたがる。⑫女性と何を話せばいいのか分からなくなる。⑬必ず無茶をやらかすヤツがいる。などなど、ほとんどが該当してしまうことがすごい。⑪は蒙古タンメン中本!!とにかくすごい人気だった。小生は北極ラーメンも蒙古タンメンも食べたけど、辛すぎて有難味が全くわかりませんでした。超地元なので周りのやつらに、お前は宝の持ち腐れだなんて言われましたよ。意味分かんねー。今もすごい人気なんだって。⑨+③もそうだったなー。高三の学園祭で豊島岡女子高の子らと知り合って、池袋で4×4でデートしたけど、小生はデートに上下ジャージ着て行ったんだよ、ジャージだぜ。。ファッションセンス以前の問題ですね。当然次はなかった。without女子の3年間は、まさに苦行でした。⑬は体育祭の応援合戦で、バットと角材折ってたし。当時は1m以上垂直跳び飛べたし、握力も左右80kgくらいあったんです(ちなみに中学1年では右:12kg、左:8kgでした。)。先日高校、予備校と一緒だった青木君、阿部君、中島君(つかさ)と新宿で30年ぶりに再会しました。青木君は今東海大学医学部付属病院口腔外科学教室の准教授、司は八王子で耳鼻科を開業しています。阿部君は④に該当する、城北一のヤンキーだった??阿部よ!!すまん。今ではNECで開発のチーフマネージャーなんだって。最近、早稲田大学でMBA取得して、今度は博士課程行きたいなんて言っていました。あの阿部がだよ。小生も本当によくわかる。「うん・うん」としみじみ頷いていました。一生勉強すること・・・素敵なことだね。それぞれ別の道を歩んでいる高校の仲間たちとの久しぶり再会に、嬉しさと懐かしさを感じました。苦節3年、女っけのない、でも素敵な3年でした。男子校もいいかもね♥♥
最初の3枚は高校3年生のときの体育祭の応援合戦です、角材やバット折りしてました。懐かしい開成高校の受験票!!掲示板には390番はありませんでした、残念!!最後は4月に30年ぶりに再会した高校・駿台で一緒の向かって左から阿部君、中島君(つかさ)、青木君です。