仁淀川プチ紀行

NCVC在籍約7年のうち、先日レジデント1年目について、数篇紹介しましたが、今日は6年目のスタッフになった直後頃のお話をしましょう。2001年5月中旬頃だったと思います。胸部大動脈瘤術後合併症で長期入院となってしまった患者さんが高知市の方だったので、高知市の病院に搬送することになりました。状態は芳しくはなかったため、医師が飛行機に同乗することとなったのですが、その役として小生に白羽の矢がたちました。もちろん即快諾。なぜかって?そりゃー、高知市には水質日本一にもなったことがある仁淀川があるからです。無類の川好きの小生にとって仁淀川は絶対に外せません。昨年末に亡くなられた作家の宮尾登美子作で「仁淀川」という小説がありますが、彼女は高知市出身で仁淀川町に住んでいたこともあり、仁淀川とはとても深いつながりを感じてしまいます。搬送の話に戻します。伊丹発高知龍馬空港に15時頃到着だったでしょうか。担当医に申し送りを行い、患者さんは救急車で無事病院へ搬送されました。高知龍馬空港発伊丹空港行は19時過ぎ。少し時間がありました。レンタカーを借り、早速仁淀川へ。高知市内を貫通し、伊野町で仁淀川と対面。5年ぶりの再会でした。仁淀川を北上し、名越沈下橋あたりまで登ってゆきました。17時過ぎとやや暗くなってきていたのですが、川面はまだ見ることができました。本流のあまりの透明度に度肝を抜かれました。2m以上ある川底までくっきりと見え、魚影の濃さにも驚きました。水中を是非見たいと思い、バッグに忍ばせていた水中メガネを取り出しました。こうなることを予想して、水中メガネだけ持参していたのです。残念ながら海水パンツもタオルも持参せず来てしまったので、パンツ1枚に水中メガネを装着し川に入りました。5月だったので水は非常に冷たかったのですが、素晴らしい透明度と魚影の濃さに感激してしまい、水の冷たさはあまり感じませんでした。10分ほどのウグイやカワムツ、ムギツクなどの川魚とのランデブーでしたが、すぐに仁淀川を後にして、空港へと戻りました。替えのパンツがなかったので、ノーパンでズボンを直に履いてたため、股間がスースーしてしょうがなかった。空港で金属探知機が反応したらまずいと思い、検査時は身につけている金属は全部外したよ。替えのパンツは必ず持っていこうぜ。・・・・・なんじゃそれ!!               仁淀川の美しさを心に刻み、再来を誓って帰阪してゆきました。小生の日本の清流ベスト10のうちの1つであることを付け加えておきましょう。ベストテンはいずれ紹介しますね。

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