「新・映像の世紀」を見て思うこと

本年10月25日NHKスペシャルで「新・映像の世紀」というドキュメンタリー番組が放送開始となりました。親友の土光くんからこの番組が開始することを聞いていたので、とても楽しみにしていました。全6集ということで、早速、この日の第1集を見ました。第一次世界大戦は、どちらかというと日本にはあまり馴染みのない戦争でしたが、イギリス・フランスやドイツなどのヨーロッパに多大な戦禍をもたらし、20世紀上半期の世界戦争の発端となった大事件でした。番組のなかでもドイツの化学者で、ノーベル化学賞を受賞したフリッツ・ハーバーの件 (くだり) はとても印象的です。受賞理由はアンモニアの合成法の発見でした。アンモニアは化学肥料の合成に不可欠な物質で、これにより農作物の収穫効率が劇的に向上したと言われています。愛国主義である彼はドイツ国家のために戦争兵器である毒ガスの合成に手を染めてしまいます。妻のクララは多くの人間を弑逆してしまう兵器を開発をする夫の豹変ぶりを苦に自殺してしまいます。さらに悲劇が彼を襲います。彼はユダヤ人であったため、第一次世界大戦が終了し、ナチスが台頭してくると、ドイツ最大の功労者のはずなのに、ナチスに迫害される側へと立場が逆転してしまうのです。イギリスに逃げ、命は助かったものの、数多くのユダヤ人同胞が、自分の開発した毒ガスで大量虐殺 (700万人とも言われています) されるとは想像もしていなかったことでしょう。まさに「木乃伊とりが木乃伊」とはこのことでしょう。ノーベル物理学賞受賞している益川敏英先生の「科学者は戦争で何をしたか」(集英社) にも諸刃の化学の1例として著述されています (ちょうど10月に読んだのでいいタイミングでした)。話は1995年まで遡ります。20年前に放送された「映像の世紀」全11集を見たときの衝撃は今でも忘れません。この番組は戦後50周年とNHKの放送開始70周年記念番組と銘打たれて制作・放送されたドキュメンタリー番組です。帝国主義勢力の増長のなか、日本も遅れじと大東亜帝国拡大へと軍国主義へ突き進む中、ヨーロッパおよびアメリカ・ソビエトを中心とした世界の情勢が20世紀にどのような変化を遂げてゆくのかを知ることができる珠玉のドキュメンタリーです。冒頭、加古隆の「パリは燃えているか」のテーマ曲とともに歴史上のキーワードとなる人物名や事件などが流れる演出にも、とても感動しました。池上彰氏は小生が15年以上も前から好きなジャーナリストだったのですが、彼の著書で「そうだったのか現代史」シリーズ (集英社) とあわせて、この「映像の世紀」を見ると、より100年の流れが理解できることと思います。現代史は学校でもあまり習いませんしね、馴染みが薄いのですよ。一橋大学の日本史問題では1問必ず出題されるんですよ (歴史が面白くなるディープな戦後史:相澤理著:中経出版) 。       20世紀は、ロシア革命に始まり、第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦、鉄のカーテンに象徴される東西冷戦とそれに関わる熱い戦争 (朝鮮戦争、ベトナム戦争など) 、中東情勢の脆弱性と不安定性の問題  (イスラエル建国に端を発する4回にものぼる中東戦争、イラン・イラク戦争など)に絡んだオイルショックを経て1989年、日本の元号が昭和から平成に変わったこの年の11月に、ハンガリーの国境封鎖解除に端を発した冷戦終結。ベルリンの壁崩壊が起こります。これは感動的でしたね。ダイレクトにお茶の間で見ましたから。そういえば大阪の西成で、どこかそのへんで拾ってきたであろうコンクリートをベルリンの壁とかいって1000円ぐらいで売ってたなー。「半額でいいよ」なんて言ってたけど、もちろん買いませんけどね。大阪のコンクリートなんか。東西ドイツ統一、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊さらには1991年ソビエト崩壊などなど、劇的に変化する100年でした。それをを追ったドキュメンタリー番組が「映像の世紀」でした。DVDを買おうとしたら7万円!!!当然買えませんでしたが、中古の安いDVDセットを購入しました。全11集の中でも特に第10集の「民族の悲劇果てしなく:絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった」は秀逸でした。完全とは言えませんが、ほぼ単一民族国家である日本では全く馴染みがないのですよね、民族対立なんて。冷戦終結後、ソビエトなど大国の箍 (たか) が外れて、民族対立が激化します。エスニック・クレンジング(民族浄化):何とも嫌な言葉です。1984年の冬季オリンピックで北沢欣浩選手が銀メダルを獲ったサラエボオリンピックが行われたサラエボは旧ユーゴスラビアの都市でした。ユーゴスラビアはバルカンの火薬庫といわれ、7つの国境、6つの国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字で1つの国家と言われるように、多民族がモザイク状に混淆している不安定な多民族国家でした。パルチザンの英雄、カリスマ チトーによってまとまっていたのです。チトー死後、冷戦構造が瓦解すると、旧ユーゴスラビアも崩壊し、各国が独立してゆきました。それらの国の一つであるサラエボを首都とするボスニア・ヘルツェゴビナではクロアチア人勢力・セルビア人勢力そしてムスリム勢力と三つ巴の戦いで、他の民族への憎悪の連鎖によって殺戮が繰り返されていました。あのオリンピックの都市が戦禍で荒廃した町に変貌してしまったのです。悲しいことです。西側の軍事同盟であるNATO (北大西洋条約機構) は冷戦時、東側のワルシャワ条約機構と対峙していましたが、一度も爆撃したことはありませんでした。しかし東西冷戦が終結して、このボスニア紛争で初めてNATO軍が爆撃を行うなんて皮肉なことです。これらの映像は小生に強い印象を与え、今現在でも、脳裏に強く焼きついています。クロアチア人による「クロアチア 我らの祖国、武器をとれ、武器をとれ、戦うのだ、祖国を守れ、敵を破壊せよ、今こそ勝利の時だ、死力を尽くせ、戦え、戦え、戦え、戦え、死ぬまで戦え!祖国を救うのだ!!!」とセルビア人浄化を煽動するプロパガンダ番組には特に大きな衝撃を与えられました。平和ボケしたわれわれ日本人には対岸の火事でしかないのです。今のシリア情勢とシリア難民の大移動を彷彿させます。歴史は繰り返します。ドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクの「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。小生が好きな言葉です。このドキュメンタリーを見て改めて、民族対立による難民の悲劇を繰り返さないためにも、過去の歴史に学ぶべき必要性を再確認しました。志村けん曰く「う~~~~ん、平和っていいよなー。」小生もそう思います。

映像の世紀 デジタルリマスター版 再放送 11月12日(木) BS1で午前9時から放送します。観てみてはいかがでしょうか。

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