先日那須温泉の旅館山楽で第13回AQUREXERS(アキュレクサーズ:意味不明)定例会が開催されました。13回という数は些か大雑把ですが、2000年以降、京都で1回(祇園白梅泊:能見ちゃんの結婚祝賀会)、大阪摂津峡温泉で1回(能見ちゃん快気祝い)、河口湖で5回(横坊別荘)、函南で2回(大ちゃん別荘)、那須温泉山楽は3年連続で都合4回目となっています。今回特筆すべきは、松山から丸ちゃん(石丸:以下敬称略)が参加したことです。6年前の来豆以来の再会です。そして参加人数も11人と多かったことも挙げられます。ピルじー(蛭田)を筆頭に、花ピン(花塚)、横坊(横山)、種ちゃん(種市)、能見ちゃん(能見)、丸ちゃん(石丸)、河ちゃん(河辺)、山さん(山口)、唐戸君、小生。さらに、今回は新たに矯正歯科医栗林先生も愛車のGTR:R35で参加してくれました。AQUREXERSのいいところは初めて参加した人達も、20年前からの友人と思ってしまうような溶け込みやすさがあります。歯科医:6名 医師:5名です。大ちゃん、関ちゃんが参加していれば良かったのにね、残念!!!いつものように昔話で大盛り上がりでしたが、日常でこんなに、抱腹絶倒することはあるのだろうかと思うほど、日々笑っていないなーと感じてしまいます。この日は違いました。18時以降午前4時まで笑いっぱなしでした。日々のストレスを忘れ、楽しいひと時を過ごすことができ、ホッとしています。
AQUREXERSの意味は不明ですが、その萌芽は1985年4月に遡ります。ゆえに今年は30周年になるのです。ときは昭和60年度の入学式、4月12日金曜日。医学部総代は横山俊郎という男でした(上記 入学式次第参照)。入学式の後、バスで富士吉田の寮へ出発する時、オカンがやってきて、「あんた総代の人と同室じゃない」と言われて、「ええええ”~~!!!」。確かに寮の名簿を見ると彼の名前があります。行きのバスは緊張しつつ、なんとなく憂鬱になってしまいました。寮に到着し、赤松寮457号室へ。横山氏が階段で、重そうなトランクケースを一人で運んでいたので、「手伝いますよ。僕、同室の花房です、よろしく」と挨拶すると、「どうも」とそっけない挨拶が帰って来ました。そして、一緒にいる女性に「おばさん、なにやってるんだよ!!」、「こいつ叔母が一緒に来てるんだ」と思っていたのですが、実は母親だったのです。「こいつ、よーわからん。照れ隠しかな??」。何と彼は開成高校卒で主席入学!「なにーーーー、開成?小生が2回も落ちた学校!」と闘志?むきだしではありませんが、やたら落ち着いているので小生より年上だと思ったら、現役合格だったんですよ。ゆえに18歳の少年。これにはまいった。さらにさらに、457号室に入ると蛭田氏が両親と来ていました。長髪で、お坊ちゃんのような感じで、「こんなところまで両親と来るのかよ!」と少し冷ややな目で見てしまいました。小生は寮まで来るつもりでいたオカンのバス乗車を阻止したのです。だって、なんとなく恥ずかしいでしょ。自分に似た親見られるの。その蛭田氏、実は小生より3歳年上で、極真空手家。そして腕相撲最強で、ギターの名手とすごい人だったんですよ。肩揉みさせる子分にしようと思っていたのに。それにしても、わかんねーもんだなー、外見だけじゃ。そして、次に入室してきたのが河辺氏。「こいつジャニーズか??こういうタイプの奴は女性にモテて、性格も悪いんだよなー。あーー、ヤダヤダ」なんて勝手に思いながら、気分は更に憂鬱になってきてしまいました。最後に米山氏が到着。全員揃ったところで、小生が「自己紹介でもしましょうか」と切り出すと、米山氏は二段ベッドの下段を陣取り、動こうともせず「当然でしょ!!」。なんだコイツは。「あ~あ、最悪の部屋に割り当てられたなー」と思いつつ、このあと全学のオリエンテーションに皆で行きました。入寮初夜、第1回宴会の始まりです。すると見知らぬ、やはりイケメンの青年がいきなり入ってきて、開口一番に「石丸といいます。ヨロシクね!」、「また、やな奴がきたなー」と小生。何でも河辺氏と予備校が一緒だったんですって。河辺氏は新潟県五泉市出身で、当時はまだ入手困難だった越の寒梅を差し出してくれました。宴会はさして盛り上がらず(みな、やや緊張していたため)、小生は来年の大学再受験のため途中で会を抜け出し、勉強部屋で受験勉強していました。小一時間ほどして、部屋の戻り、電気を消して就寝したのですが、消灯後15分ぐらいして、いきなり河辺氏が意味もなく爆笑し始めました。「どうした?」と小生が問うたところ、しばらくして「だって、蛭田さんだけ、頭逆向いている!?‘$`+☎#&¥」。二段ベッドで蛭田氏のベッドのみ、その他のメンバーのベッドと頭の向きが逆だったのです、すると皆、一斉に爆笑しだし、それが30分も続きました。このとき、まさにteam 457誕生の瞬間です。小生は3浪は出来ないので、「来年は国立受けるぞ」と息巻いて、富士吉田に乗り込んできたのですが、結局、受験勉強用の問題集はすべて翌日にダンボールで板橋の実家に送り返してしまいました。「ま、俺、ここでいいや!!!」。なんて享楽的なこと。以後、ほぼ毎日宴会状態は翌年2月の退寮まで続きます。1ヶ月後小生の案で、「全員あだ名で呼ぼう」ということとなり、蛭田氏:蛭田さん(さすがに最年長なので)、河辺氏:河ちゃん、米山氏:米吉、横山氏:横坊、小生:はなぴょん(小学校以来40年経った今でもこのあだ名で呼ばれています)となりました。それが脈々と受け継がれ、現在に至っています。30年経った今でも、20歳の時がほんの少し前だったと錯覚してしまうぐらい、時が経つのが早くなってしまったと感じてしまいます。いまだに当時のままの気分でいる自分と、老いた体を有する今の自分とが乖離しており、現実を直視しにくくなる時があります。そうであってもAQUREXERSのメンバーでいられたことは、この上なく幸せなことと思っています。第13回定例会は、やや抑うつ気分でいた小生にとって、日々の生活も仕事にもカンフル剤となったようです。みんな!ありがとね!!!!これが11月のある週末の出来事でした。北の国から風で。おわり!
写真説明:赤松寮457号室の一コマ。入学式次第、懐かしい!!!医学部代表:横坊だって。 呼び出しは入寮1週間で門限破り、担当教官より呼び出し!入学後一番だったみたい。まったくね!! 次が懐かしの昭和の受験票。こんなの持っていたんだね。それにしても頭が爆発しているなー。第13回AQUREXERS定例会のスナップ。最後が23年前にかおりちゃん(河辺夫人)が中心で作成したAQUREXERSのトレーナーです。まだ着られるんだよ!キツいけどね。