先日俳優の松方弘樹、渡瀬恒彦と昭和を代表する名優が相次いで亡くなりました。ともに深作欣二監督の「仁義なき戦い(全5作)」では広島ヤクザを好演されていましたが、この作品に出演していた主演の菅原文太はもちろん金子信雄、小池朝雄、川谷卓三、室田日出男などなど、魅力的な俳優の多くは既に鬼籍に入り、小生の大好きな「北の国から」でお馴染みの田中邦衛もご高齢のため、すっかりテレビで見ることもなくなってしまい悲しい限りです。実は仁義なき戦いシリーズでひときわ異彩を放つ俳優がいました。その名は成田三樹夫。小生が最も好きな俳優の一人です。趣味が俳句と将棋とその風貌との乖離がまた一層、彼の魅了を引き立てます。若い世代の方々には、なじみが薄いかもしれませんが、それもそのはず、既に1990年4月9日胃癌のため死去しており、死後27年もたっていますので、過去の俳優となってしまったのかもしれません。先日発売の「昭和40年男」の、俺たちのダークヒーロー特集に俳優として唯一取り上げられていたのが成田三樹夫でした。「ニヒルな知略家から不気味な悪玉、そして憎めない小悪党まで、昭和の映画やドラマを盛り上げたダークヒーローと言えば、この男優をおいて他にない。にじみ出る知性とダンディズムで俺たちを痺れさせたミッキーの魅力に迫る!」とありました。小生が成田三樹夫を知ったのは中学2年のとき。友人と「野生の証明」をロードショーで観に行った時でした。たしかヤクザの役だと思いますが、凄みのある悪役で、鮮烈なインパクトであったことを今でも覚えています。その1年後の中学3年生の時には、「探偵物語」の服部刑事役が大当たりします、「工藤ちゃ~ん!」はドラマの代名詞にもなったほどです。その後も数多くのドラマや映画に出演しますが、1990年に55歳という若さで夭逝してしまいます。今現在ご存命ならば82歳。もう俳優はやっていないかもしれませんが?「仁義なき戦い」では「広島死闘篇」 の2作のみの出演でしたが、ニヒルで筋を通す松永弘役を怪演します。とにかくカッコいいの一言。成田三樹夫の魅力はニヒルとダンディズムを体現した演技力やその風貌もさることながら、その博識にあるといってよいでしょう。彼は「鯨の目」という句集を遺しています。ちなみに小生も持っています。彼の真の人柄を知るうえで、まずは夫人である温子さんの「序に変えて」を引用させていただきます。
今から五、六年前からでしょうか、成田が賀状に俳句を書くようになったのは。どちらかと言うと筆無精な人でしたが、その罪滅ぼしの気持ちもあったのでしょう。賀状だけは毎年全部手書きで出しておりました。ある時知人より頂いた暑中見舞いの葉書に爽やかな緑の葉に白い花を付けた野草の押し花が添えられてありました。成田はその葉書を嬉しそうに眺め、「心遣いが・・・・・・いいねェ」と一人悦に入っていました。そしてその翌年の賀状から俳句が書かれる様になりました。・・・・・中略・・・・・非常にシャイな面のある人だけに娘達に何かを伝えるとか特別 話し合うとかは、あまり無かったのです。割合黙って感じ取れというタイプでしたから。それだけに句を通 して娘達には父親としての又母や友人達には一人の男としての、言ってみれば”生きた証”の様な事を伝えたかったのではないかと想っています。成田とは共通の知人を通して知り合いました。成田が三十二歳、私が十九歳でした。その後時々電話が来る様に鳴り、食事をしたり映画を観に行ったりお酒を飲みに連れて行ってもらったりと可愛がってもらっていました。私は三姉妹の末子として育ちましたので私にとっては良いお兄さんができたといった感じでした。ある日日比谷へ映画を観に行き、その帰りに食事をしていた時です。「温子はどんな本を読んでる?」と突然聞かれ、焦りながら今まで読んだ数少ない本を挙げました。その中で太宰治の名前が出ると、「太宰は僕も好きだよ。あとね、ドイツの作家なんだけどハンス・カロッサと言う人の本なんか温子にいいんじゃないかなと思うんだ。透明感があってサラッとしている文章で読み易いよ。何と言う事ない様でいて読後が清々しいんだ」帰ってから早速本屋さんへ行ったのですが、絶版と言う事でしたので古本屋さんへ回ってみました。三軒目のお店で『ハンス・カロッサ全集』を見つけ買い求めました。それは今でも私の大切な本となって時々読み直したりしています。カロッサの本でもう一冊大事にしているのは成田の叔父の訳した本で、その叔父から私へと頂き感激した事を覚えております。十年位前になると思いますが、ある女優さんへの結婚祝として地方の出版社に有りましたカロッサの在庫を取り寄せてお送りさせて頂いた事もありました。「何でも一生懸命読まなきゃ駄目だ。詩でも小説でも作者は命懸けで書いているんだ。だから読む方だって命懸けで読まなきゃ失礼なんだ」そして、「そうでなければ字面ばかり追うだけで本当の宝物は作者は見せてくれないんだよ」言われている事は分かるのですが、私などには到底そういう読み方はできそうにもありませんでした。結婚してから初めて京都へ行った成田から手紙が届いた事がありました。その手紙の中に非常に成田らしい個所が有りますのでそれを書き出してみます。・・・・・中略・・・・・カロッサも毎日少しづつでも続けて下さい。そして人並みはずれて誠実な人間がどんなことを考え続けどんな具合に生きていったかを少しでも分かって欲しい・・・・・中略・・・・・。僕もこの辺でもう一つ腰をおとして勉強の仕直しをするつもりです。とにかくもっと自分をいじめてみます。男が余裕を持って生きているなんてこの上ない醜態だと思う。ぎりぎりの曲芸師のようなそんな具合に生き続けるのが男の務と思っています。色気のない便りになって御免なさい・・・後略・・・。今、この古い手紙を書き写しながら、成田は、こういう本質の部分を最後まで持ち続けていた人だと思います。人並みはずれて一生懸命、真正面から何かを見つめ、考え、その為に苦しんだり、傷ついたり悲鳴を上げながらも自分に鞭を打つ。これが成田の聖域なので決して触れない部分だと思っていますし、私などには計り知れない世界でしょう。私の様な俗人から見ると何故そんなに自分を痛めつけなければならないのかと思いますが、これはそういう感性を持って生まれた成田の業のようなものではないかと思います。葬儀後、親しい友人の方々が成田の遺骨と共に何となく我が家に集まりました時、その中のお一人がしみじみと、「何でこんなに成田さんに拘るのかと考えたけど、結局僕は理屈抜きで成田三樹夫という男が好きだったんだ。それだけなんです」その言葉を伺って私も全く同じ気持ちでしたので嬉しくて涙が出て来ました。そして成田に対して、この上ない言葉だと思いました。東北人らしく非常に腰の重い人でした。それがやっと仕事に、そしてライフワークに欲が出てきて今まで蓄積して来たものをまとめ上げて行く行く段階でした。その成果を出せなかった事を無念に思います。しかし探求心の旺盛な人で天体等にも興味をそそられていましたので今頃はのんびりと、こちらの世界からは見えなかった星や宇宙空間を楽しんでいるかも知れません。成田が本を通して語り合って来た方々とも時空を超えてお会いしているかも知れませんし、そうであってほしいと思います。こちらの生臭い世界より成田にとっては黄泉の国の方が過し易い様にも思います。男として真っ当な事を考え、真っ当に生きた人、そして人一倍の厳しさ、人一倍の優しさを生き抜いた人、肉体よりもむしろ神経の方が寿命ではなかったかと感じています。<あなた、おつかれ様でした。又会える時まで>
素敵な文章です。そして成田三樹夫が奥様に送った文の内容が秀逸です。人並みはずれて誠実な人間がどんなことを考え続けどんな具合に生きていったかを少しでも分かって欲しいなんて言えないもんね。また、「何でも一生懸命読まなきゃ駄目だ。詩でも小説でも作者は命懸けで書いているんだ。だから読む方だって命懸けで読まなきゃ失礼なんだ。そして僕もこの辺でもう一つ腰をおとして勉強の仕直しをするつもりです。」「とにかくもっと自分をいじめてみます。男が余裕を持って生きているなんてこの上ない醜態だと思う。ぎりぎりの曲芸師のようなそんな具合に生き続けるのが男の務と思っています。」という成田の言葉は小生の座右の銘になっています。ちなみに小生も成田の影響でハンス・カロッサを読みましたがかなり難解な本でした。
フランス文学者の鹿島茂は倚馬七紙なる作家であり、100冊目の記念に上梓した「甦る昭和脇役名画館」において、12人の俳優をあげていますが、最後にあげられているのが成田三樹夫です。勝新太郎主演「兵隊やくざ」において「長身の引き締まった肉体。いかにも強烈な意思の力を感じさせるアゴ。睨み付けるだけで相手を縮みあがらせる鋭い眼。大きく尖った鼻の下で真一文字に結ばれた口・・・」とその独特の風貌を彼独特のレトリックで描写して、鍛え上げられた悪の魅力を論じています。主客転倒、まさに主役と互角に渡り合う成田に悪のエロスを醸し出しているといいます。成田三樹夫という強烈な個性の悪役は、そのマイナスベクトルのエロスをしっかり受け止めて、これを跳ね返すほどのプラスベクトルのエロスの持ち主が主役を張っていない限り、少しも輝かない。換言すれば、成田三樹夫と渡り合える主役級の俳優はそうはいないということになります。鹿島は、映画に出演した成田とメンズ・マガジンのモデルの成田が同一線上で一元化したときに、男たるものが目指すべきエロティシズムに満ちた真のヒーローになったと最大限の賛辞を送っています。
また、能や焼き物などの骨董に造詣が深く、文芸評論家の小林秀雄や画家の梅原龍三郎とも親交があった随筆家白洲正子の随筆集「ほんもの」の中で、「雲になった成田三樹夫」なる随筆を発表しています。白洲正子が特に注目したのは、ヤクザ役イメージを払拭できない成田がNHK大河「新平家物語」で保元の乱で敗れてしまう藤原頼長という平安末期の当代一の大学者役を演じるそのギャップと、「品のいい立ち振る舞い、衣装束帯の似合う役者は、歌舞伎の世界にもまれにしかいない」と言わしめています。そして「ワキ役とはいえ、彼が現れると、主役を喰ってしまう場合が多かった。いわゆる「花」のある役者とは違うのだが、強いていうなら黒百合の花にたとえられようか」と述べています。おそらくは高山植物の女王はコマクサです。黒百合にはコマクサのような派手さはないのですが、独特の存在感を有していて、陰陽で陰の女王とでもいいましょうか。ちなみに「黒百合の歌」は、昭和28年(1953)に公開された松竹映画「君の名は」の主題歌になった歌です。また石川県の県花でもあり、やはり存在感の大きな主役級に匹敵する脇役のメタファーでしょうか。
反安倍総理の急先鋒で論客の佐高信は「佐高信の百人百話」の中で成田三樹夫を絶賛しています。彼は成田の高校の後輩で、成田の末弟とは酒田東高の卓球部でダブルスを組んでいたというのだから、成田三樹夫とはかなり近い存在であったのでしょう。「彼の自虐的な言葉の裏には、彼特有の矜持が隠されている」と述べています。「役者でさ、時の総理大臣とチャラチャラ、ニコニコして握手したりして喜んでいるのがいるじゃない。ああいうのを見てると情けなくなっちまうね」と権力者に阿諛追従する輩を一笑に付すことができる剛毅果断たる自分という矜持を。佐高は「成田と地元紙で対談するのが夢だった」という文で締めくくっています。
また、鹿島茂の前出からの引用させていただきます。「また、是非とも書き留めておきたいことがある。それは彼の経歴である。・・・・・中略・・・・・本当は、山形大学のほかにもう一つの秘めたる学歴があったのである。」・・・・・中略・・・・・成田三樹夫は東大の理科Ⅰ類に入学し、水が合わずにすぐに中退してしまっているのです。今では公然の事実で、ウィキペデアで東京大学の人物一覧にもその名が刻まれていますが、「彼は東大に入りながら、水が合わないとあっさり退学したことは一切公表せずにひた隠しにして、1990年に胃癌で急逝するときには、墓場まで持っていこうとした。彼らしいダンディズムというほかない。悪役にはエロスとダンディズムが不可欠だと教えてくれた俳優、それが成田三樹夫だったのである。」と大絶賛しています。
最後に「鯨の目」の「綴りの余白」から成田三樹夫の読書歴を挙げてみましょう。坂部恵著「”ふれる”ことの哲学」、前嶋信次著「イスラム文化と歴史」、村上陽一郎著「ハイゼンベルグ」、シェファー著「進化の博物学」、上野千鶴子著「構造主義の冒険」、中沢新一著「雪片曲線論」、大岡信著「万葉集」、ブリゴジン著「混沌からの秩序」、鶴見俊輔著「思想の落とし穴」などなど難解な書物が列挙してあります。その数、数百冊。百花繚乱のごとく並んでおり、自然科学から哲学、文学など非常に広い分野にわたる内容であることがわかります。また、遒勁(しゅうけい:力づよいさま)、孌童(れんどう:美少年のこと)など、見たこともないような難解な熟語の意味を余白に書き留めるなど、真摯な読書の姿勢がみられます。
名だたる文化人を惹きつけてやまない成田三樹夫とは何か?ダンディズム、ニヒル、エロティシズムさらに付け加えるならインテリジェンスをすべてを持ち、それを体現する稀代の俳優であり、小生のようなペダンティックな輩とは対極に位置する人物です。常なる諧謔的な振る舞いそして言動とは裏腹のその博識ぶりと、読書、将棋、俳句に対する精励恪勤な姿勢は、まさに博学才穎というほかありません。それでいて、それらを自己韜晦する稀有な人物。それが成田三樹夫なのです。小生もかかる生き方ができればと思います。