「ランボー怒りのアフガン」ではなく「怒りのAAA:トリプルエー」 なんじゃそれ?

 

国立循環器病センター(NCVC)での心臓血管外科生活は足かけ約7年。レジデント3年、シニアレジデント2年と普通はここで終了なのですが、幸いポジションに空きもあったため心臓血管外科スタッフに採用されました。2001年のことです。血管外科グループの配属となりました。前のチーフは安藤太三先生で、CTEPH(慢性肺血栓塞栓症)の外科治療などの業績が評価され藤田保健衛生大学心臓血管外科主任教授となり、後任として荻野  均先生が血管グループのチーフとなりました。手術の腕はまさに神業。小生の心臓血管外科とくに血管外科の手術手技はこの2人の薫陶を受けました。今現在も手術の基本はこの二名の師匠に加え、心臓血管外科の泰斗である大北  裕神戸大学教授の手技を踏襲しています。ちなみにNCVCの歴代血管外科グループのチーフは全員大学教授に就任しており、荻野先生は東京医科大学教授に、次の湊谷謙司先生も京都大学教授に就任しています。そしてナンバー2は佐々木啓明先生。レジデントの1年先輩です。レジデントに着任する前の山梨県立中央病院での心臓手術経験が豊富なため、レジデント時代よりスタッフの先生からも頼りにされていました。小生も手術手技の基本のみならず心臓外科医の心構えを叩きこんでくれた、よき先輩です。血管グループは当初スタッフ3人体制で、年間約170例程度の胸部大動脈瘤や大動脈解離、CTEPHに対する血栓内膜摘除術などのポンプ症例に加え、腹部大動脈瘤(AAA)約150例、閉塞性動脈硬化症などの末梢血管手術や内シャント作成など約100例を数名のレジデントと熟すのですから、忙しさは想像を絶します。最長30時間以上の手術も経験しました(もちろん休憩は取ります。交代でね)。夏休みも本来2週間とることができるのですが、AAA術後の受け持ち患者さんが、尿管狭窄による水腎症、さらには急性腎盂腎炎を合併したため、箕面市立病院の泌尿器科で腎瘻造設が必要となったため、急遽、岡山県鏡野町の父の実家から呼び戻されたこともあり、実質の夏休みは4日程、年間完全休日も10日に満たなかったかと思います。時間外労働も月300時間が普通でしたから、今思えばよくやっていたものだと思います。なんせ、土日も必ず病棟回診+ICU回診、たまにある緊急手術などなど休日も仕事三昧でした。それでも緊急手術や患者さんの急変などがなければ昼頃からには、奈良や京都へもよく足を運んだものです。愛車のスープラでね。とにかく手術と仕事が何よりも大好きでしたから、一度たりとも苦痛と思ったことはありません。敢えて挙げるとすれば1週間で8時間しか寝られない過酷な緊急手術ラッシュのときぐらいでしょうか 。あとは、給料が滅茶苦茶安いことぐらいでしょう。今やれと言われれば無理でしょうけど。本来、1年で神戸大学に帰ることになっていたのですが、手術症例が右肩上がりで増加したため、湊谷謙司先生が留学から帰国した2002年7月以降も結局レンタルという形で4人体制となりました。帰国直後の2002年7月5日、小生が慢性大動脈解離に伴う腹部大動脈瘤の術者を荻野先生から任された時のこと。「湊谷!花ピーの前立ち(第一助手)してくれるか。」といわれると、すかさず「まだ帰ってきたばかりで慣れないので荻野先生お願いしますよー。」と、露骨に小生の手術の前立ちを拒否していました。おそらくレジデント時代の小生の超下手な手術の第一助手をするのがよほど不安で苦痛だったのでしょう。荻野先生は「花ピーなら絶対大丈夫だから。」と言ってくれたことは、本当にうれしかったです。小生の手術を信頼してくれていたのですね。渋々、第一助手を務めてくれた湊谷先生。さあ!手術開始。【開腹、後腹膜切開、大動脈・両側総腸骨動脈周囲の剥離+テーピング、腎動脈下で腹部大動脈遮断、大動脈切開、瘤切除、中枢からの出血コントロールが困難なため腎動脈上の剥離追加後腎動脈上で腹部大動脈遮断、腰動脈閉鎖、中枢側のfenestration(解離内膜の開窓:切除)、テフロンフェルトによる外膜補強を追加した中枢側人工血管(グラフト)吻合、遮断部位を中枢側吻合部の末梢-人工血管に変更→腎血流再開:腎温阻血時間:28分、グラフト右脚と右総腸骨動脈吻合、そして遮断解除→右下肢血流再開、グラフト左脚-左総腸骨動脈吻合、遮断完全解除→両側下肢血流再開、最後に下腸間膜動脈再建、止血確認、腹腔洗浄、瘤壁によるグラフトのラッピング、後腹膜閉鎖、閉腹】と手早く手術を進め、3時間強で無事終了。今でも手術の流れが正確に甦ります。湊谷先生は小生の手術の上達ぶり(ちょっとだけどね!)によほど驚いたのか「化けたなー。」と感激してくれたことは今でも笑い話でもあり、嬉しいですね。さすがに毎日手術に携われば多少は上達するわなー。それにしても帰国後すぐに執刀した湊谷先生の弓部全置換術は何と3時間半!!とさすがの一言。とにかくNCVCでは神業的な手術をたくさん見ることができ、財産となっています。ちなみに小生の弓部全置換は最速4時間台でした。もっとも、手術は確実かつ早ければいいのですが、早いだけで、いいわけではありません。腹部大動脈瘤はAAA(Abdominal aortic aneurysm)の略でスリーエー、トリプルエーと呼びます。保険や国債の格付けみたいですけど。AAAは開腹アプローチまたは後腹膜アプローチの主に2種類の、いわゆるconventional surgery(従来の手術術式)が一般的でしたが、今ではカテーテルによるステントグラフト(EVAR)による治療が時代の趨勢となり、ほとんど開腹で行う手術は採用されていません。今の心臓血管外科医はAAAの手術経験がきわめて少ないのが現状でしょう。小生がレジデント3年目の時(通称3レジ)に、NCVCで初めてEVARの手術が行われました。残念なことにグラフトの材質に欠点があり、EVAR術後のグラフト破砕による瘤拡大症例が数例に認められたため、NCVCでも数例のEVARの施行で治験中断となり、その後しばらくEVARは行われなくなってしまいました。おそらく、EVAR術後のAAA再発症例に対する再手術(開腹による再人工血管置換術)を日本で初めて行ったのは小生です(たぶん。違ったらすみません)。幸い、時代がEVARは時期尚早とされたため、開腹・後腹膜アプローチによる従来の人工血管置換術を100例以上執刀させていただき、いい経験をしたと思います。EVARはそんな船出でしたから、当時EVARがこんなに普及するとは思いませんでした。2002年秋、神戸大学に赴任してからは人工心肺症例の執刀は皆無となってしまいました。NCVCでは毎週手術執刀ができたのに。大学では小生より上に4人もいれば無理もないですかね。ごくごくたまにお鉢が回ってくるAAA手術。弓部置換などの執刀がなければ、こちらに全精魂をつぎ込むしかありません。2004年2月に執刀したAAAは先の定型的な順序で型のごとく進捗するAAA手術でした。条件が良かったのか、執刀から閉腹まで1時間38分。現在まで神戸大学でのAAA手術最短記録で、未だ抜かれていないそうです(もしかしたら既に抜かれているかもしれませんが)。後輩でフレッシュマンの野村拓生先生が「花房先生の怒りのAAA!!!」とあちらこちらに触れ回っていました。何のこっちゃ??胸部大動脈瘤手術の執刀が回ってこないという怒りをAAAにぶつけていたと説明していましたが、別に怒りなどはありませんでした。大北教授の手術のお手伝いができたことは外科医として、今でも誇りに思っています。赴任当初は水が合わなかった神戸の街と神戸大学病院の雰囲気も、じきに慣れて、大北教授をはじめ岡田健次先生(現信州大学教授)や松川 律先生、同期の日野 裕君、田中裕史君や松森正術君、山田章貴君など素晴らしい先輩・友人・後輩に恵まれた素晴らしい職場へと変化してゆきました。そして大好きな職場へと変化しました。また、みんなと仕事したいなーなんて思うこの頃です。もちろん今の下田循環器・腎臓クリニックがスタッフも患者さんも職場も最高ですけどね。

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