最近、みすず書房(主に自然科学や社会科学の専門書を得意とする出版社。小生もローレンツの「攻撃」やモノーの「偶然と必然」、ペンローズの「新しい皇帝の心」など多くの蔵書があります)最大のベストセラーといわれる、トマ・ピケティーの「21世紀の資本」のキーワード、資本市場が完全になるほどr=資本収益率はg=経済成長率を上回る・・・・・・・・・・・・の意味ではありません。小生の小学生~浪人時代までの、受験を通しての、r=recreation:レクリエーション=気晴らし、レク、娯楽、休養>>>>g=学問・学業 つまり娯楽が本来受験に必要な学業をはるかに凌駕していた呉下阿蒙の自分を表しています。なんのこっちゃ??まー、つまらない前ふりはこれぐらいにして、2月~3月になると受験シーズンを想起します。特に現役の大学受験時はひどかった。小生の出身高校は板橋区にある私立城北高校で、自宅は高校の真ん前という立地でした。高校の敷地に手を入れるだけならその時間僅かに5秒。8時20分閉門で、19分に自宅を出発。チャリンコでぎりぎりセーフが当たり前で(何でそんなに近いのにケッタマシンなんだ?本当は近い人はチャリンコ通学は禁止でした)、ひどいと遅刻なんていうこともしばしば。金網よじ登って体教に見つかってしばかれたことは何度もあり、何とも堕落しきっていました。高校2年まではあまり勉強しなくても上位の成績を維持していたのですが、高校3年になるともう、全く歯がたちません。物理は最初の力学で既に頓挫。中間テストは5点で期末は3点(100点満点でだよ)、理科の2科目の選択からは即、外れてしまった。地理の授業は教科書から逸脱し、全く関係ない話に終始してしまう始末:先生が悪い。よってこれも脱落。化学もモルの概念が理解できずに躓いた。なんせファンデルワールス力をファンデルワールスカ???「りょく」を「か」と読んでしまうんだからだめだよなーーー。これで医学部なんか行けるわけないよ。高校3年次はそんなもんだから毎日キク(幼稚園時代からの友達の菊池君)んちかキャーちゃん(中学時代からの友達の木戸場君)ちかアンズ(中学時代からの友達の浅津君)んちで麻雀三昧でした。共通一次試験の前の日も当日も麻雀。試験は確か両国高校だった。社会はその場で地理と日本史を選択しました。普通はあらかじめ2教科決めて受験するんですよ、本当は。鉛筆転がして回答していた。本当だよ。全然わかんねーし。当然玉砕。両方で15-20点ぐらいだったかな。200点満点ですから、ちなみに。全教科1000点満点で530点ぐらいでした。もちろん国立なんて受けることもできません。私立は東京医大と東京理科大学薬学部、理工学部を受験しました。東京医大は論外。理科大も当然サクラチル。理科大の薬学部は幼なじみの友人と一緒に受験しました。1限目は数学で、3~4問??中0.5問解けただけ。昼食の弁当を一緒に食べる約束をしていたので、数学が終わって合流したら、幼稚園来の親友なので、即座にそこは以心伝心!!!!!!気がついたら京王線に乗って高尾山口に着いていました。ペアリフトに乗って山頂でお弁当を頂きました。帰宅して、開口一番、母は「どうだった?」、小生「難しかったー、来年頑張るわ。」と何と締りのない会話でしょうか。数日後、合格発表の日の昼過ぎ。母「あら、理科大の発表は見に行かないの?」「どうせ、落ちてるからいいよ。」「何言ってるの、見に行きなさい!!ヽ(`Д´)ノ」「わかったよ!!」と虚しい会話が続きましたが、「全教科受験していないんだから受かっているわけないじゃん。」と思う自分に「まー、見に行ったふりをしよう。」と言い聞かせて、いつものたまり場になているキクんちで麻雀を打っていました。夜8時に帰って、母「どうだった?」小生「ダメでした。予備校に通うわ。」と駿台予備校の市ヶ谷校舎(理3β)に決定。ここも試験があるんですよ。よく受かったもんだと思っています。予備校入校後、暫くして、自宅を訪問したお客さんが「オタクの息子さん駿台なんですって。すごいですねー。おめでとうございます。」といわれて閉口する母と小生。お客さんは、どうも駿台を駿大、つまり大学だっと思っていたようです。予備校だぞ!浪人だぞ!困たもんだぜ、全く。現役受験の顛末は懐かしさと忸怩たる思いが交錯する記憶となって、今でも鮮明に思い起こされます。後日談があるので、また、そのうちに。