山ごもり:甲州修行の旅

大学3年生の11月終わり頃、関東理工系陸上競技大会(名前は不正確)のハンマー投げ競技に出場しました。そうなんです。実は、小生は大学ではなぜか空手ではなく陸上のハンマー投げの選手だったのです。トンカチ投げるんじゃないよ!!室伏広治選手のハンマー投げです。もっとも、室伏選手の半分弱しか飛びませんが、東日本医体体育大会(通称東医体)レベルでは十分優勝できます。とは言っても、練習にはほとんど出ないで友達の下宿を渡り歩く毎日。当時は携帯電話もポケットベルもありませんので、友人はみんな自宅に電話をくれます。午前様か泊まりが多かったため、不在のことがとにかく多かった。翌日、友人たちには(お前のおかん、「いつもすみませんねー、うちの息子は鉄砲玉なので、本当にすみません。」 ってまた謝っていたぞ。) なんてしょっちゅう言われていました。クラブの練習は月に1-2回出席すればよい方で、4年生の副将になる前までこんなクラブ活動だったと思います。そんな練習しかしていなかったので、大会に出たっていい成績など出せるはずもありませんでした。当該大会では最悪なことにスリーファール、つまり記録なしで予選敗退となりました。「まあ、練習もしてないし、いいよなー。まあ、いいやなー。」なんてヘラヘラしていたら、芦沢先輩の鉄拳が顔面を捉えました。普段は優しい芦沢先輩は鬼の形相で、「練習もろくにしないで、何ヘラヘラしてるんだー。」とめちゃくちゃ怒られてしまいました。ハッと我に返り、「このままじゃいかんなー。」と思い、でもなぜか翌日学校は休み。夕方、徐にオヤジの会社で使っていた配達用の原付ジャイロにテントや飯盒、米、寝袋、鍋と本など生活必需品をを目一杯積み込み、調布の花ピン(花塚君)の下宿に向かいました。着いた時間が確か午後8時頃だったか。「俺しばらく山に篭るわ、代返よろしく。」と頼み、調布を後にしました。只管、国道20号線を西走し、大垂水峠、大月、勝沼、甲府、竜王より茅ヶ岳広域農道を経て、増冨鉱泉のさらに上流へ進みました。川沿いの水が得られる平坦な場所を見つけて、野営場所としました。到着時刻は午前3時頃。すぐにテントを設営し、そのまま就寝しました。この日はやや遅れましたが、翌日からは午前4時起床。以下、大山倍達流???山篭りのスケジュールを列挙します。起床後10分間蝋燭の火を見ながら瞑想し、さらに10分間、黙想。次に瑞牆山山頂までランニング。頂上より下山含め約2時間。次に滝の水を浴び、「うりゃっぁーーーー」と気合を入れます。なんせほとんど12月!!気温は氷点下5度程。気合が入るのを通り越して、最初は痛く、そのうち全身の感覚が全くなくなります。そのあとは焚火をおこし、朝食を作ります。午前10時まで休憩。12時まで2時間は空手の稽古:柔軟体操、準備体操、ストレッチに始まり、正拳、手刀などの突き、回し蹴り、後ろ蹴りなどの基本稽古。次いで移動稽古、型など。だいたいなんで空手なの??ハンマーでしょと言いたいところですが、ハンマーはエアターンの練習もやっていましたよ。午前の稽古が終わると、休憩後、昼食を作って、午後3時までは自由時間。天気の良い日は、下山して田圃の畦道に横たわり、読書。これが最高でしたね。たまに食材の買い出し。修行の旅には5000円しか持って行かなかったので、なるべく安い食材、例えば茄子や菠薐草など野菜のみ購入。肉はほとんどなかったなー、再び午後3時からは筋トレです。腕立て100回×10セット、腹筋500回×2セット、背筋300回、スクワット500回、ジャンピングスクワット100回×2セットなどなど只管2時間筋トレです。ヘトヘトとなったところで5時過ぎより夕食作りを開始し、午後7時頃夕食。そのあとのコーヒーは至福の時間です。なんせ星空が最高ですんで。午後9時には就寝していました。ランプは持って行かなかったので。こんなことを約1週間続けましたが、流石に軍資金も底をつく状態となったため、最終日は増冨鉱泉で久しぶりの入浴。いくらなんでも滝の水だけではね、風呂で垢を落とさないと。てなわけで、翌日火曜日だったか帰宅の途につきました。午後0時頃、ジャイロに異変が!!!!!!途中でエンジンが焼きついてしまたのです。エンジンが全くかかりません、まだ、広域農道にも入っていないのに。とにかく上り坂も何も関係なく、明野村を経て、竜王までジャイロを只管押しました。約5時間もかけて。竜王に修理工場があったのでそこに事情を説明し、修理をお願いしましたが、すぐには直りません。途方に暮れていると、山梨医大の友達に連絡してみました。ももちゃん(百瀬君)は留守、司(つかさ:中島君)に電話したら、ラッキーなことに在宅していました。ちなみに二人共城北高校、駿台市ヶ谷校舎の友達です。すぐに行くぞと言ってくれて、1時間くらいで迎えに来てくれました。事情を話すとこの日は司の下宿に泊めてもらって、夜は司のAE86で敷島のサントリーワイナリーに夜景を見に行ったなー。翌日5000円を借りてバスでなんとか帰京することができました。司。ありがとう、もっともつい先日、30年ぶりに司に会ったんだけど、5000円返すの30年も忘れてた。彼はそんなこと忘れてるから返さなくていいとのことでした。ジャイロは取りに行くのが面倒くさいので連絡もせず、すっと放置。9年くらい税金払ってた。4年後のフレッシュマンの時、川口先生らツーリングで甲府に行ったとき、修理工場覗いてみたら、まだ置いてあった。その2年後チェリーさんや田所先生とツーリングに行ったときには、もうなかったので、お釈迦となったことでしょう。ジャイロよ取りに行けなくてごめん。しかし、とんでもねーなー!!!7年も放置とは。この修行で得たものとは何か??絶対にできなかった一人ラーク (ひとりで、すかいらーくに入って食事を摂ること:今で言うお一人様) もできるようになり、なんでも一人でできると自信に漲っていました。が、ハンマー投げの練習には依然火が付かず、何のための修行だったのかが釈然としないままfade outしてしまいました。まあ、山にこもって修行ができただけでも良しとしよう。と自分に言い聞かせていたのでした。おわり。

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