2022年12月8日に開催されるM1グランプリの決勝に残った10組の中にウエストランドの名前を見つけ、いつもはあまり興味のないM1グランプリも今年は日時までしっかりチェックしていました。ウエストランドが優勝したらいいなと思っていたんです。当日の結果は7261組の出場の中での優勝という快挙でした。翌日のニュースやワイドショーでも出演が急増し、昨年の覇者錦鯉がそうであったように、ウエストランドも9日以降、メディア露出が増えることでしょう。頑張ってもらいたいものです。彼らの名前を知ったのは2年くらい前でしょうか?なぜウエストランドかって? ひょっとして津山市出身? と思ったらやっぱりのビンゴ!だったのです。小生が高校生の時、鏡野の父の実家では、買い物をするとき、伯母が決まって行くのがウエストランドだったのです。「今日はウエストランドに買い物に行くけん。何を食べたいんか?」が口癖でした。それ以降、買い物に行くときは家から8㎞離れているウエストランドに行くことが多かったのです。大学生になって以降は車の免許があったので、家の軽トラを使ってしょっちゅうウエストランドまで買い物に行っていました。マルイというスーパーの複合施設が津山市二宮にウエストランドという名前で営業していたんです。漫才コンビのウエストランドはこの商業施設に因んでコンビ名となったのだそうです。父の実家=鏡野=津山=買い出し=ウエストランドという方程式が小生の中にはできていたため、あまりMIグランプリに興味のない小生も今回ばかりは、何とか優勝して、津山のウエストランドを有名にしてもらいたかったのです。ジモティーしか知りませんからね。全国区になれば津山=ウエストランドという等式が多くに人の中で成り立つようになりますからこんなにうれしいことはありません。ウエストランドさん有難う。
ウエストランドがある津山。とにかく小生にとってはものすごく思い入れが強く、たくさんの思い出がある場所なのです。鏡野を第二の故郷と思っていますが、津山も同様です。卓省伯父さんは定年まで40年余津山市役所の職員として勤務していましたし、鏡野に行くときは、新大阪までしか新幹線がなかった頃は、新大阪からキハ58系の急行みささで姫新線経由で津山駅に、岡山まで新幹線が延伸した際には津山線で津山まで、時に新大阪から神姫バスで中国自動車道経由で津山駅までと必ず津山駅が玄関口でしたから。鉄ちゃんおなじみの鉄道遺産の頂点ともいわれる「鉄道記念物」に、「旧津山扇形機関車庫と転車台」が選ばれており、現役の転車台は全国的にみても珍しいんです。小さいときにはまだ、蒸気機関車が格納されていましたから。また、不思議な縁で、最近知ったことなのですが、現津山市長である谷口圭三氏は小生の父方の祖母箕子の弟の孫にあたります。つまり小生とは 「はとこ」になるんです。かれの祖父は津山市高倉に在住していたので高倉のおじさんと呼んでいて、よくお小遣いやお年玉をいただいたことを覚えています。はとこが市長を務めているのですから、ふるさと納税も津山名物の干し肉などなどお礼品にと選ばせていただき、微力ではありますが津山市に貢献したいと考えております。そして、ここに今、ウエストランドを輩出した津山について熱く語りたいと思います。
残念ながら津山はあまりメジャーとは言えない都市なのです。岡山県では岡山市、倉敷市に続いての第3の都市なのですが、津山ってどこと聞かれることも多く、返答に窮することがしばしば。岡山県の山の方とか上の方とか鳥取県近くに位置していると説明することが多いと思いますが。そんなマイナーな津山ですので、岡山県第2の倉敷市の人口は47万人。3位の津山市になると一気に10万人切るぐらいまで減ってしまいます。やはりちょっとマイナーか。ところが、結構すごい都市なんですよ。何といっても同市出身で最もメジャーな人と言えばB’sの稲葉浩志さんでしょう。B’sファンにとって津山は切っても切れない聖地なのです。稲葉さんのご実家であるイナバ化粧品店は年間1万人以上のファンが押し寄せ、お母様が暖かく迎えてくれる素敵なところなのです。以前、神戸大学病院で親しくしていた高橋多歌子元看護師長さんが津山出身で、「稲葉浩志は小さいころからよく知っているのよ」と言っていました。小生もこの場所はよく知っています。最近は、紀行作家で一級建築士の稲葉なおと氏が「津山 美しい建築の街」という写真集を上梓しており、津山の魅力を十分に引き出しています。かれは稲葉浩志さんのいとこなんです。また、写真集にも掲載されていますが、稲葉さんの母校は地元の進学校で明治28年に開校し、現在創立127年となっている県立津山高校です。現在の旧本館はNHKの連続テレビ小説「あぐり」で、第一岡山高等女学校のシーンの撮影に使用されたそうで、国の重要文化財に指定されています。因みに小生の父も兄貴分の達ちゃんや龍ちゃんも津山高校出身です。その他、第35代内閣総理大臣 平沼騏一郎や、俳優のオダギリジョーも津山市出身です。
津山城址は鶴山公園となっており、桜と藤の名所です。とりわけ春の桜は圧巻です。また、707年創建の中山神社は由緒ある神社で『今昔物語集』第26巻7話にちゅうざんという名でこの中山神社がでてきます。また534年創建とされる高野神社 (たかのじんじゃ) もこうやという名で宇治拾遺物語10-6に記載されています。この2社は吉備津神社などとともに岡山県の貴重な歴史遺産なのです。
江戸から明治初期にかけての洋学の興隆にも目を見張るものがあります。津山洋学五峰と称される宇田川玄随・宇田川玄真・宇田川榕菴・箕作阮甫・津田真道は江戸期の洋学の泰斗で歴史の教科書にも出てきます。なかでも宇田川玄随の養子玄真のさらに養子である宇田川榕菴は蘭方医でもありましたが、日本ではじめての近代化学を紹介する書となる舎密開宗 (せいみかいそう)を著した日本の近代化学の祖であり、小生がとても敬愛する化学者なのです。小生は舎密開宗も持っていますよ。なぜかって? 化学が大好きだからです。特に有機化学が。還暦前の今でも有機化学の研究者になりたいと思っています。理由は簡単。有機物の構造式はアートだからです。ノーベル化学賞を受賞した下村脩先生の恩師で名古屋大学の平田義正博士が構造決定をしたイソギンチャクから抽出したパリトキシンの構造式や、シクロデキストリン、フラーレンなどC60やC80などなど、これら多くの構造式はアートだと思います。小生、ベンゼン環を見ると、やたらとうれしくなってしまいます。昔、バイク走行中にコーナーの標識が見えてきたとき、美しい清流に潜る前のとき同じように。変なおじさんですね。「そうなんです、ワタスが変なオジサンなんです。変なオジサンだから変なオジサン・・・・ダッフンだ」。 話を戻しますが、津山市を含む美作地方は、日本の近代化に貢献した優れた洋学者を多数輩出したことから、洋学の研究施設として1978年に津山洋学資料館が開館し、関係資料や史跡の調査研究を現在まで行っています。このような地方都市が日本の科学の最先端をいっていたのは奇跡でしょう。
B級グルメでグランプリを獲得した津山ホルモンうどんも有名ですね。津山は江戸時代、肉食が禁止されていたときも彦根藩とともに例外的に肉食が認められていたそうで、食肉特に牛肉文化が明治以前より根付いています。そのため、ホルモンや干し肉、肉の煮凝りなど牛肉料理がバラエティに富んでいて、津山ホルモンうどんもその流れを汲んでいるです。小生が中学1年生の夏休みの時に、叔母が軽トラで津山駅近くの吉井川沿いのホルモン焼き (ホルモンうどんではなく) のお店に連れてってくれたことがあるのですが、そこで食べたホルモン焼き定食があまりにもおいしくて忘れられません。鉄板でホルモンと野菜を焼いて、そのまま鉄板の上で出されて、ご飯をどんぶりで出してくれるスタイルでした。たしか500円ぐらいでしたでしょうか?といってもお店の場所と名前は忘れてしまいました。何回か探して、似たようなお店で食べましたが、その時のインパクトは得られません。とにかくまた食べたい。最初の強烈なインパクトを超えることは至難の業ですね。
いろいろと津山のお話をさせていただきました。小生の大好きな町。津山。両方のウエストランドにもさらにメジャーになっていただきたいのですが、素敵な町で、ありつづけてもらいたいと願っています。「津山!!大ーーー好き」 です。
写真は桜満開の鶴山公園。1975年刊行の「舎密開宗」復刻・現代語訳の表紙。津山駅にある転車台。マルイウエストランド。パリトキシンの構造式です。