四万十川奇行?紀行

お久しぶりです。連休明けは外来、手術と結構忙しく、更新できませんでした。今日は日本最後の清流といわれた四万十川紀行についてお話ししましょう。本流にダムがないことで、日本最後の清流と言われ、四半世紀以上経過していますが、川オヤジとしては、「四万十川よりもっときれいな清流は日本にはたくさんあるんだぞ」と思いつつも、今回は四万十川行についてお話ししたいと思います。後にもっと素晴らしい日本の清流については語りたいと考えております。大学3年生の時、四万十川はちょうど野田知佑のカヌー紀行などで脚光を浴び始めていました。四国は小生にとっては、なじみの薄い土地で、なかなか用事がないと行かないところですが、AQUREXERS(大学の仲間のチーム名)の仲間に愛媛県北条市(現在の松山市)出身の石丸ちゃんがいたおかげで、ここをベースに1987年夏の旅は四万十キャンプと決まりました。北条の石丸宅を夜出発し、梼原(ゆすはら)川を川切りに四万十川本流へと向かいました。確か四万十川水系、梼原川の川面を見たのが翌朝の4時半ごろ。あまりの透明さにメンバー5人驚いたこと驚いたこと。何事も初めのインパクトが最も強烈です。この梼原川の最初に見た透明度が、そのあと3回の四万十紀行を含め、最も鮮烈であったと記憶します。とりあえずここでテントを張り仮眠をとりました。が、いきなり、6時になるとプツプツップツッと雑音の後、時報のけたたましい音でたたき起こされ、仮眠もとれずへ辟易してしまったことが思い出されます。結局仮眠もままならないままこの日は大正町まで出て、まずは大正温泉に入りました。小さいながらなかなか味のある温泉でした。夕飯の買い出しをしようと店を探しましたが、当時はスーパーもコンビニもなく、なんでも売っているよろず屋があるだけで、生肉などはなく、野菜も乏しいものでした。四万十川流域のあまりの僻地さ加減に、ただただ驚きました。横浜ナンバーの車がよっぽど珍しいのか、地元のおっちゃんやおばちゃん達に「どこから来たんじゃー」と何回も聞かれました。キャンプ候補地を探している途中、工事ですれ違いが困難な箇所に信号が設置してありました。工事中の片側通行の手前で、赤信号だったため停車しました。5分経っても青にならず、結局30分ずっと赤でした。途中で無視したけどね。45分で変わることが記されていました。道路は川の蛇行に沿った狭い道で、舗装こそされてはいましたが、とにかく狭く、路面も最悪でした、たまに来る対向車とのすれ違いもなかなか大変でした。最初の野営地では、ヤスで鮎や鯎、カマツカなど獲って、先ほど購入した食材とともに夕食のおかずにしました。花ぴょん流キャンプは、①キャンプ地では絶対にキャンプをしない。②可能な限り温泉入浴を加える。③狩猟した魚や山菜などを調理する。としており、翌日もこの流儀に従い、流域にある郷麓温泉という小さな宿の風呂に入浴しました。ここのオヤジが、われわれ関東からくる人間がよっぽど珍しいのか、やたら歓待してくれるのです。「煎餅食え」と一斗缶に入った煎餅を差し出されました。これがまた見事に湿気っていた。オヤジは機嫌よく話しかけてくるし、河ちゃんは「どうもすみませんねー。しけた煎餅を」と何度も何度も連呼してもオヤジは一向に聞こえないのか饒舌ぶりに磨きがかかっていきました。小生は河ちゃんのインチキくさいお礼の連呼とそれに気づかないオヤジがおかしくて、丸ちゃんと大ちゃんと大爆笑していました。小生らの笑いでオヤジの饒舌ぶりは増幅されるばかり。これにはまいった。また、冷凍庫に入っている自分が釣った数十匹の鮎を自慢そうにわれわれに見せて、これも分けてくれるのかなと思いましたが、鮎をくれる気はなく、結局は湿気った煎餅を一人1枚ずつ食しただけでした。河ちゃんは3枚食ったかな。「郷麓温泉今もあるのかなー:インターネットには出ていましたが」なんて思い出してしまいます。2泊目は不入山を水源とした四万十の聖域:四万十川源流域でキャンプしました。アマゴや鮎をゲットして夕飯のおかずにしました。夜中コーヒーを飲んでいると不気味な獣の鳴き声に気づき、ビビリながら探索に行きました。結局は見つからずじまいでしたが、今思えば鹿だったのかもしれません。熊は四国にいないし。あ、俺が熊か??初回の四万十紀行はハチャメチャで奇行が相応しいのではと思います。だんだん薄れてゆく記憶を手繰りながら約30年前の思い出に浸る。これもまた50歳を過ぎたオヤジの楽しみなのかもしれません。初回の四万十奇行の写真がないんだよなー、残念!!!!!第2回もハチャメチャ紀行だったのですが、続きはいずれ。

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