国立循環器病センター(通称こくじゅん:NCVC)、日本の循環器疾患病院の総本山みたいなところです。厚生労働省直轄の病院で、国立ガンセンターや国立国際医療センターなどとならび、日本の威信をかけた病院です。心臓移植も第1例目こそ阪大病院に先陣を奪われましたが、2例以降、NCVCで心移植は続けて行われ、症例数は現在最も多いようです。今は国立循環器病研究センターと名称は変更されています。近々移転するようで、新病院が楽しみです。今回はNCVCへのいきさつについてお話ししたいと思います、フレッシュマンも終わり、医師2年目となり、初めての研修病院が福島県郡山市にある太田西ノ内病院の心臓血管外科でした。心臓血管外科医をめざし、特に先天性心疾患の手術を専門にやりたいと考えていましたが、残念なことに昭和大学胸部外科では心臓血管外科の関連病院が少なく、さらには先天性心疾患手術を行っている関連病院は皆無でした。太田病院に赴任して間もなく、仙台市で行われた心臓血管外科学会総会に参加することができました。初めての学会参加です。とても楽しみにしていたのですが、初めての学会は内容がとても専門的で難しく、さっぱりわからなかったというのが本当のところです。とにかくたくさん勉強しないと内容にはついていけないことを思いしることとなりました。その中で、先天性心疾患のセッションではNCVCの八木原俊克先生が座長を務めていました。理論整然として、見た目もかっこよくこの人のいるところで勉強したいと強く思うようになりました。その後の心外関係の学会でもNCVCの発表数は群を抜いており、また、症例数も多く、研鑽するには最適の病院と思うようになりました。1994年だったか、千里中央で先天性心疾患の形態学のセミナーが開催され、Anderson先生やBecker先生など世界の錚々たるスペシャリスト達の講演を聞くことができました。このセミナーは八木原先生と現Royal Brompton病院の上村秀樹先生が中心メンバーでした。セミナーで特に秀逸だったのがDORVのセッションで、Taussig-Bing anomalyの手術Kawashima手術を開発した川島康生先生、当時の阪大教授の松田先生そして八木原先生の3人が壇上で討論している姿はとても印象的でした。ますますNCVCに行きたいと強く思うようになりました。1995年、昭和大学胸部外科高場 博教授からも、なんとか許可を得て、念願のNCVCのレジデント試験を受けることとなりました。一人で大阪行くのは淋しーなーと思って、なんとなく旧友の能見俊浩君に声を掛けたら俺も受けるわと一緒に試験を受けることとなりました。彼は麻酔科医で当時は都立墨東病院の救急科に在籍していましたが、心臓麻酔に興味を持っていたため快諾したようです。試験は12月初旬。前日は大阪の阪急ホテルに宿泊しました。大阪駅で梅田駅ってどこですかと言って、地元の人に大笑いされたのが懐かしい。ずぼらやの河豚、かに道楽の蟹や戎橋のグリコなど実物を見て、とても新鮮でしたが、河豚をてっぽう(当たると死ぬから)だの、鰻をマムシだの(マムシは食えないだろー)文化の違いはとてもカルチャーショックでした。翌日の試験は筆記は確か4問。救急のABC、CABGのグラフト、AAA破裂の治療法+英語、やたらと簡単だった。面接は忘れたなー。とにかくここで勉強したいと強く訴えたような気がします。16-7人受験していましたが、小生のような昭和大学出身者はNCVCとは全くゆかりもないため、無理かなーとも思いましたが、何とか二人とも合格。あとで聞いたら試験トップだった??(嘘かもしれないよ)んだって。1996年5月より晴れてNCVCレジレデントに相成りました。地獄の1丁目:いよいよ大阪生活が始まりました。まさか7年近くもいるとはね。またNCVCについてはお話ししましょう。なんせ、心臓外科医としては最も長くいたところだからね。愛着もあるんです。写真は旧友能見ちゃんとNCVCのレジデント試験に行った時のスナップです。